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2023年4月17日月曜日

久々の日本式履歴書に面喰う

 日本の知人から講義を依頼され、履歴書を書くことになった。

初めにびっくりしたのは、名前の次の項目が性別と生年月日だったということ。アメリカにいると、性差別はもとより、年齢差別も禁じられているので、こういう項目が聞かれない。自分の代名詞をたとえば (she/her) などと書いておけば、先方に親切だけど、she だからといって性別を主張しているわけではない。

次に、学歴とか、職歴を書く欄があったのだが、添付文書(あらかじめ2ページにまとめたresume)をご参照ください。と書いただけでは駄目であった。そして、学歴や職歴は古いものから新しいものの順に書くところがまた驚いた。

こういうところを細かく知人が親切に直してくださって幸いだった。




2021年10月16日土曜日

人と同調して生きるプレッシャー、で思い出したランドセルの件

とまとまんが、この記事面白いよ、というので、以下の記事を読んだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/123839f909c17ea90ae5848ba4540671b105596e

同調を求められるプレッシャー、で思い出したのは、父の仕事の都合で西ドイツ(というと年齢がわかるね)に1年3か月住んで日本に帰国し、いきなり1年生の6月に小学校に行った時のこと。しかも、父が買った、ドイツのランドセルを背負って。

https://holaergo.com/pages/scout この写真の70-80年代の商品に似ていた。写真のような反射板もついていた。(ドイツの冬の朝は真っ暗。)

日本でランドセルのバリエーションといえば赤か黒かしかなかった時代に、ドイツの大きくて派手なランドセルを使うのは、嫌でも注目を集める。ただでさえ「転校生」というのはいろいろ面倒だが、こういう異質なもので入っていくと、なおさら。

でもすぐに分かったのは、このランドセル、軽くて大きいおかげで、教科書やノートだけでなく、いろいろな道具(書道セット、絵具セット)や体操服・給食の白衣もろもろがバンバン入るということ。それで結局6年間使った。

当時、学校はとくに文句を言ってこなかったので、そのまま押し切り。

アメリカから日本に帰国した方が、子どもが重いランドセルを背負ってとても苦労している話を聞かせてくれた。家に毎度持ち帰らなくてもいい教科書は学校に置いてきてもいいとか、もっと背負いやすくて軽いバックパックを使ってもいいとか、そういう柔軟さがなくて、一律に、決まった形のランドセルに、ぎっしりいるものもいらない物も詰めて、毎日えっさほいさと担いでいる子どもたちが気の毒。(しかも手には結局体操服や絵具セットを持つわけで。)

みんなと同じ、であることに、やたらめったら気を使って、エネルギーを消耗してしまう一例。

ちなみに、子芋は、幼稚園の制服を最後に、小・中・高校時代は制服がなかったので、日本育ちの日本人としては、かなりラッキーだったと思う。でも、体育館シューズとか、体操服・ジャージとはやっぱり指定されてたなー。

2016年5月21日土曜日

仮面ライダーサービスの写真を追加

5/2 の記事に、仮面ライダーサービスの写真を載せたので、よろしければごらんください。
http://koimokko.blogspot.com/2016/05/blog-post_2.html

2016年2月21日日曜日

旧暦正月のパレード

市内で旧暦のお正月を祝うパレードがあるというので、見に行った。豪快な獅子舞に始まり、扇や傘を使ったダンス、地元の高校生のマーチングバンド、日本のAKB48を彷彿とさせるダンス、中国独楽の披露、などなど。大学で中国語を教えている先生たちのグループもあった。

パレードが成り立つほどに、中国にちなんだ団体が次から次へと登場したこともすごいし、道路を車両通行止めにして(もちろん警察の協力を得て)、このようなパレードを催した中国系住民の企画力・組織力もすごいと思った。これと比べると、ピッツバーグの日本人コミュニティーは本当に小さいなと思う。




2016年1月10日日曜日

仕事用のカレンダー

前の職場でも、今の職場でも、毎年暮れになると、どのカレンダーを注文したいか聞かれる。アメリカではなぜか、壁掛けカレンダーの他に、画用紙ぐらい大きな月替わりのカレンダーを机の ど真ん中に置きたい人が結構多く、小芋はなぜ机の一番使いやすい位置にそんな代物を置きたいのか、未だに理解できない。

小芋が必要なのは、12ヶ月が一望できる、ページ一枚のカレンダーなので、次のようなカレンダーサイトで、ちゃちゃっと1ページ印刷してしまえば用が済む。なんと安上がり。
http://www.timeanddate.com/calendar/create.html
ちなみにこのカレンダーサイト、各国の祝日を選んだり、日曜始まりと月曜始まりが選べたりなど、いろいろ指定できるので便利である。

これ以外に、A4サイズくらいのプランナー(8月始まりくらいのアカデミック版)を使っている。その中に月ごとのカレンダーや、1週間が見開きで見渡せるページがあるので、日々のメモなどはここに書く。8月の新学期セールのころに買うのが好きである。
たとえばこんな感じ。
http://www.target.com/p/day-designer-planner-8-5-x-11-multi-colored/-/A-17078340



2015年10月19日月曜日

大人になって初めて外国に住むということ

大人になって初めて外国に住むことになった(小芋のせいで、そうなってしまった)とまとまんを見ていて、彼がいま正に経験しているさまざまな生活や考え方の調整(大小さまざま)を思うとき、頭が上がらない。

特に、

  • 日本では朝飯前でできたような簡単なことができない悔しさ
  • 言葉が聞き取れない(or 聞き逃す)悔しさ
  • 窓口や店先でぶっきらぼうに対応された時の悔しさ(これは必ずしも英語のバリアのせいとは限らず、誰に対してもぶっきらぼうな対応だったりすることも多いが、英語が流暢でないと余計にいい加減な対応をする人も珍しくないのが現実。日本のカスタマーサービスは世界一。)


小芋も幼いときに突然西ドイツの幼稚園に入れられたり、翌年また日本に帰っていきなり6月から小学校に入ったり、高校で交換留学生になったり、また社会人になってからまた再びアメリカで勉強したり、と波乱万丈で、その度に数え切れないほどの失敗と悔しい体験をした。が、高校と大学の留学は人のせいではなくて、自分からわざわざ買った苦労。

もともと好奇心がとても強い性格なので、その点は失敗を乗り越える上でお得だったかもしれない。失敗もたくさんすると、傾向と対策がわかってくるので、失敗のダメージが小さくなる。今でも日々失敗はあるが、過去の失敗歴のおかげで、そこそこ打たれ強い。(
それでもまた凹む。)

小芋と比べてはるかに順風満帆な人生を送っていた とまとまんにとっては、今の毎日は台風の中を進んでいるような気持ちかと思う。雨風に耐えている間、ちっとも足が前に進んでないように思えることも多いだろうけど、違う環境にいるだけで物凄いハードワークを日々しているので、頑張っている自分に いいぞ、いいぞ、イェ〜イ!(笑いヨガ風) と言ってあげてほしい。Keep it up! Keep it up!

2015年2月8日日曜日

Ruth Ozeki 著:A Tale for the Time Being

Ruth Ozekiさんという作家が書いた、"A Tale for the Time Being" (日本語訳は、「あるときの物語」)という本を友達から紹介されて、それのオーディオブックを図書館で借りて、2回聞いた。

最近、小説系はさっぱり読みも聞きもしなかったが、著者自身による朗読にすっかり魅了された。

日本とアメリカの学校生活や暮らしぶり、東京と東北の田舎の雰囲気の違い、NYCとカナダの田舎の生活、第2次世界大戦の神風特攻隊や日本の自殺の話、アメリカの9・11事件、東北の震災ーーーいろんなトピックが出てくる。

カナダに住む作家Ruth (著者と同じ名前。著者自身?)の語りと日本のティーネイジャー、なおこが英語で書いた日記が交互に出てきて話が進んでいくんだが、この話を日本語に訳すと一体どういう雰囲気になっているのか、興味深い。

紙の本には、オーディオブックにはない脚注とか挿絵などもあるそうだ。今度見てみよう。

2014年7月30日水曜日

運転免許証の更新

運転免許証の更新に行った。

みごとに今回もゴールド免許。前回の更新以来、日本国内ではまったく運転していないので、当然やけど。

帰国中、レストランでもスーパーでも、お店の人の非常に丁寧な対応に感銘を受けてばかりだったが、免許更新に行った場所の職員さんの対応は、無愛想に感じた。他がよすぎるので、ギャップが生まれただけかも。アメリカ基準でいったら、べつに普通だったかな。

2014年6月26日木曜日

ネガティブなニュースの伝え方

昨日の朝7時、NHKラジオのニュースの冒頭、サッカー・ワールドカップでの日本対コロンビア戦のニュースが出た。

アナウンサーは、すぐに「負けました」とは言わず、
まず、「日本はコロンビアと戦いました。」旨を言い、
次に、「前半は1対1の同点」の説明をし、
さらに、後半でコロンビアが勝ち越し点を入れて行った様子を説明し、
さいごに、最終的に日本が破れた旨を告げた。

聴衆の1人としては、「もったいぶるなぁ」と思いつつも、段階を追ってこのように説明されると、「こりゃ、厳しい状況だな。」という気持ちになり、「負け」と聞くまえに何か心の準備みたいなものができた感じだった。

日本らしい、心配りのようなものをもった報道だなぁ、と思った。

一方、日本チームの選手や監督がけっこう厳しい評価を受けているようで、気の毒におもう。ワールドカップの舞台でサッカーできて、それだけで素晴らしかったんじゃないのかなぁ。ワールドカップに行けなかった国だっていっぱいあったのだし。

2014年6月23日月曜日

女性も餅投げを楽しもう

とまとまんの兄の新居の建て前を手伝った。

前日はまずお掃除から。棟梁や、他大工たちに昼食と夜の宴を振る舞う場所(隣家)を、一家総出で徹底的にきれいにした。

当日朝は、約2時間半かけて、お餅数千個を2個ずつビニールの小袋に入れて縛った。幼稚園生から中学生までの 甥っ子姪っ子たちもよく頑張ってくれた。

その間、家の柱や梁がどんどん組み上がって行く。

お昼、大工達に昼食を振る舞う。ここでなぜかビールや日本酒も振る舞われたのだが、私としては、午後も作業を続ける大工さんたちの安全が非常に心配だった。転倒、転落の原因になりはせんかと。

時折小雨に見舞われながらも、私の心配をよそに、夕方4時半ごろには屋根の支えまで一通り組み上がった。

お餅やお菓子を男性たちが2階部分、屋根部分に運ぶ。近所の人が続々と集まってくる。

今回棟梁の指導のもとで餅投げをしたのは、とまとまんの兄、きょうだい(女性の場合はその夫)、それに甥っ子たちであった。

「女は上がられん。」という言い伝えのもと、女性は餅を投げられないばかりか、ただ上に上がることも許されなかった。(アスレチック好きの私としては非常に残念。)

餅を投げたメンバーの話では、
「鯉にえさをやるみたいで、楽しかった!!」
とのことである。実際、とても楽しそうに投げていた。

私としては、せめてとまとまん兄の娘たちや妻は餅を投げる役で活躍できたらよかったのに、と思う。(もちろん、やりたくないなら、無理強いはしないけど。)

棟梁によると、餅投げをする家は減って来ているが、一方で女性が餅投げに参加するケースは増えて来ているのだという。

家を建てている全国のみなさん、どうぞ女性も含め、一家総出で餅投げを楽しみましょう! 

夜の宴では、とまとまんの母ととまとまんの伯母が遅くまで、そして最後まで片付けに当たっていて気の毒であった。

2014年6月21日土曜日

内祝の習慣

日本のある友人の勤める会社では、同期入社の誰かが結婚したり、出産したりしたとき、2000円とか3000円とかいう額のお金を一人一人から集めているそうだ。結婚式に出席するときの万単位のお祝い金には及ばないとはいえ、それでも結構な額だなぁ、と驚く私。同期の人間が15−16人くらいいるみたいだから、合計額も大きい。

面白いのは、そうやってお祝い金が贈呈されたあと、ご丁寧にタオルなどの「内祝」の品が後日送られてくること。おかげで、贈答品会社はウッシッシ、だと思う。けど、私の友人は、欲しかったわけでもないタオルをもらって困惑ぎみであった。

お祝い金→後日内祝の発送、というパターンがもうできちゃっているので、いまさらやめられないようではある。

日本のなかでもいろんな会社・組織があるだろうし、こういうのがどのくらい一般的なのかはわからない。どうなんだろ。

品物をお返しするかわりに、丁寧なお礼状にしたらどうかなぁ、と思う。経済貢献という観点からいうと、私みたいな考えはよくないのか。

2014年5月11日日曜日

避妊カウンセリングの勉強会

NPやCNM (Certified Nurse-Midwife, 助産師) として他のクリニックで女性の健康に深く携わっている人たちと、夕飯を囲みながらの勉強会があった。主なテーマは避妊方法のなかでも nondaily (毎日何かしなくてもよい)タイプの避妊方法をいかに効果的に勧めていくかということ。

半年ないしは1年以内に妊娠したい希望がある女性を除き、ほとんどの女性にとって、子宮内避妊具(IUS/IUD)や皮下埋め込み型避妊薬、すなわちLARC (long-acting reversible contraceptives) は第一選択薬となりうる。3年、5年、また10年間連続使用でき、その間いわゆる日々の手入れのようなものは要らない。卵管結紮術などの不妊手術と並ぶ、高い避妊効果が得られるうえ、いつでも止められる。中止後妊孕性はすぐ戻る。(本人の高齢化とか別の要素があれば別だが。)

これに加えて、3ヶ月に1度の注射薬(DMPA)、1ヶ月使える膣内リング 、1週間ごとの張り替えでよいパッチ、なども毎日飲まないといけないピルと比べると、ぐっと簡便だ。

リーダーが話し合いのきっかけとなるような質問を投げかけ、参加者がそれに対して意見や自分の持つ必殺技についてコメントしていく、という方法がとられた。

初めて会う人の方が多かったのだが、働く場所こそ違え、抱えている悩みや困難は共通するものが多かった。問題に対して、他の人がどんな工夫をしているのかを聞くのはとても面白かった。自分の小技を話せるのもよかった。

自分が今回学んだ方法の一例:
インプラント(Nexplanon/Implanon) を始める前に、「当座」、「今」妊娠しないための方法として、取り急ぎprogestin-only Pill を1−2パック使ってもらい、progestin の経口バージョンに親しんでもらってから後日インプラント開始のために再来院してもらう、という方法。DMPA からインプラントの移行というのは何度もやっているが、progestin-only Pill からの移行というステップもいいなと思った。

それから、職場のロケーション、患者さんの人種構成、年齢構成によって、好まれる避妊方法に違いがあるという話ーーーこれは経験上感じていたことではあるが、改めて他の人の口から聞いて、やはり、と思うところがあった。

あくまで経験的な「傾向」なので、単純な一般化は危険であるが、たとえばどういうことかというと、

  • 黒人の患者さんの間ではDepo Provera (3ヶ月に1度の注射薬による避妊)愛用者が他の人種より多い。これには、体重増加を気にしない or むしろ体重増加を好ましいとさえ考える人の割合が黒人の中で多い、という要因がある。また3ヶ月に1度という簡便性、また無月経という簡便性もしばしば好まれている。(一方で、月経が毎月なきゃ嫌だ!という人もいる。)
  • 一方白人患者さんの場合は、体重増加の可能性がある避妊方法は嫌われる傾向がある。
他にこぼれ話として、
  • 地域によっては、遅くても20歳までに第1子を産んでいるのが一般的なので、19歳くらいの女性が、「私は不妊じゃないか」と相談に来ることも珍しくない。
  • 高校や大学卒業などの患者さん本人の目標達成までの3−5年という間、LARC を使えば妊娠の心配なく過ごせるのだ、という事実をもっともっと伝えて行きたいが、未だに未経妊/未経産の女性にIUD/IUSを使うことをよしとしない医師が周りにいて困る。(私はそういうことないが。)
  • 避妊薬による軽度の副作用やまれな副作用を恐れるがあまり、避妊しなかったり効果の低い避妊法を使っていて予期せぬ妊娠を招いてしまうという「副作用」を過小評価している患者さんが多い。(←きわめて同感。特に、肥満、もともとの慢性疾患などがある場合はなおさら。)

2014年1月21日火曜日

ピッツバーグ日本協会の新年会

この日曜日、ピッツバーグ日本協会の新年会があった。ひさびさに出席した。抽選会にはなにも当選できなかったが、それなりに楽しく過ごした。

旅行会社、引越業者、航空会社、地元ピッツバーグの日本食レストランなど、いくつもの会社がスポンサーになって、抽選の商品などを提供してくれていた。そういった企業の担当者の多くは、ニューヨーク、オハイオ州コロンバスなど、ピッツバーグよりも日本人人口がずっと多い地域から来て参加していた。中には、今回のために(まー、このためだけではないと思うが)わざわざ日本から来たと語った担当者もいた。

で、久々に日本人の会社員同士がおじぎをしたり、名刺を交換したりする姿を見て、これがとても新鮮に私の目に映った。同じ日本人のしぐさでも、会社員バージョンを見る機会は最近は滅多にないので、印象的であった。

話は変わって、
ピッツバーグ日本語補習授業校(授業開催は毎週日曜日)の先生の挨拶によると、現在在校生は101人とのことである。以前は90人台でなかなか100人を超えなくて苦労していると聞いていたので、100人の大台に乗ってよかったと思った。多くの人に支えられて成り立っている学校である。現地校に通いながら補習校に通い続ける子ども達の努力にも、親や先生達のサポートにも頭が下がる。

お食事はバイキング形式で、お寿司もお刺身も豊富にあったのだが、最近バイキングで食中毒を起こした患者さんがクリニックに相次いで受診していたため(同じレストランではないが)、生魚は遠慮してしまった。でも他にもおいしく食べられるものはたくさんあったので、後悔はない。けど、それをわざわざここに書いているということは、後悔してるということか?

2013年10月23日水曜日

冷や奴

少し前のことになるが、地元のミニコミ紙に、かつお節とお醤油をかけた冷や奴が某レストランのメニューの一つとして写真入りで紹介されていた。

日本料理と言えば、お寿司とか鉄板焼き(アメリカナイズされた)とか照り焼きチキン(これもアメリカナイズされた)とかは前からあったが、冷や奴が受け入れられるところまで来た、ということに正直驚いた。醤油は従来から親しみがあるとして、かつお節はちょっとした初体験だろう。

自分が初めてアメリカに来たのは1995年だが(そのときは1年だけ)、そのときと今とで日本食の浸透具合に隔世の感を覚える。枝豆は「エダマミ」と呼ばれていて、普通にその辺のスーパーでも冷凍のを買える。のり、うどん、カレールーあたりも、値段さえ気にしなければ普通のスーパーにある。

とはいえ、同じ米国内でも、東か西か、都市か田舎かで、もちろん日本食の浸透度には大きなばらつきがあるので、他の都市の人からしたら、「冷や奴」が記事になるピッツバーグの状況に驚くかもしれない。

2012年12月2日日曜日

ピッツバーグ版の万博


University of Pittsburgh Nationality Roomsのオープンハウスに Pgh暮らし3年目にして初めて参加。各国の踊り、歌、和太鼓、料理の数々、と大変盛りだくさんで、人混みも内容も、万博顔負け。去年と一昨年に参加したHeinz History Center の Heritage Festival と内容はかぶるところがあるけど、規模はこちらが何十倍も大。

日本教室のブースでは稲荷寿司、おにぎり、日本の小物の数々などが並んだ。一番注目を浴びていたのは日本らしい柄のクリスマスカード。在米のみなさま、日本のご家族やご友人からクリスマスカードを受け取られた際は、しばらくそれを味わったあと、メッセージの書いてある内側の紙を外して、外身のカードをとっておきましょう。こういうときに有効活用できます。日本の皆様、きれいなクリスマスカードをぜひよろしく(?)。

それから、日本的な柄のティッシュケース、湯のみ、ハンカチ、風呂敷なども結構人気。いわゆる「景品」や「粗品」としてもらったけれどそのまま家の隅に眠っていたような品々も、ここでは "Beautiful!" と大いに感動される品に。

名前を短冊にひらがなで書くというサービスも喜ばれていた。例えば、John という名前は、「じょん」とひらがなで縦書きし、隅に John とローマ字で書く。(でないと、上下を間違えて飾ってしまったりするらしい。)家族4人分の名前を書いてもらってそれをお土産にするという人もいた。

オープンハウスは毎年1回、でも教室はそれ以外のときも一般に公開されているもよう。1月19日までは、holiday style の飾り付けが展示されているとのこと。

今回3時間ちょっと、日本教室のブースでボランティアをした。(なので実はあまり他を回る時間はなかった。)それでもとてもたのしかった。今回を逃した方、来年ぜひどうぞ。






2012年8月6日月曜日

航空会社のカスタマーサービス

6月末に日本に帰国する際、某U社で予約していたのだが、ピッツバーグーシカゴ、シカゴー成田間が両方とも遅延し、地上係員が 某米系A社の便に急遽振り替えてくれた。

それら振替便の分のマイルが自分の持っている 日系某社のマイルに反映されていないため、U社に抗議すると、これは自分たちの問題ではないので日系某社に問い合わせろという。

日系某社が言うには、A社はマイル提携ネットワーク外なので、マイル加算できないという。U社のカスタマーサービスに抗議するべきだと提案受ける。

ふたたびU社に抗議。電話を回され、回され、何人もの人としゃべったが、結局「うちの部署ではどうにもできません。ウェブサイトの問い合わせフォームにメールしてください。」とスーパーバイザーたる人がのたまう。

結局合計1時間以上電話に費やし、さらにメールフォームの入力に時間を費やし、こういうことやっている自分がばかだとおもうが、泣き寝入りしてマイルを失うのも悔しく(高い航空券だったし)、時間をかけてしまったのだよ。

何にも悪くない日系某社の人が電話口で「申し訳ございません。ご迷惑をおかけしております。」と言ってくれる一方、某U社の人はちっとも謝らない。スーパーバイザーの名前を聞いておいて、次にかけたときにその人の名前を告げても「ラストネームがわからないとだめですねー。」とか言ってつないでもらえなかったり。最後には「このまま電話してても時間の無駄ですよ。うちの部門ではどうにもできません。」ととどめをさされた。

アメリカでカスタマーサービスとやりあうに当たっては、いろいろと知恵をつけて来たつもりだったが(担当者でらちあかなければ指導者に代ってもらう、担当者の名前は控える、など)まだ修行が足りなかったみたい。

ブログのネタにはなった。くだらなくてごめん。

2012年5月21日月曜日

スペイン語はじめました

図書館でやっているスペイン語教室に通いはじめた。1回目の生徒は10人くらい、2回目は5人。(次回はいかに?)

教室参加の動機を聞くだけでもおもしろい。
・孫がスペイン語を習っているんで、私も少しできるようになりたいと思って。
・卒業したら、ヒスパニックの人の多く住む地域で働く予定なので。(学生)
・兄が西海岸に住んでいて、そこではスペイン語をしょっちゅう聞くんです。もっとわかるようになりたいんで。
・ヒスパニックの人が近所に増えてきたんです。その人たちをもっとうまく助けられるようになりたい。
・妻に連れられて来ました。
などなど。

私の場合は、ヒスパニックの患者さんがじわじわと増えてきている、という差し迫った状況がある。

教室自体は月2回しかないのだが、先生が教えてくださった Spanishspanish.com というウェブサイトや、図書館の持っている教材(図書館のウェブサイトから入っていく。自分の図書館登録番号を入力することでアクセスできる)がすばらしく、これらの存在を知っただけでもすごく価値がある。

2012年3月20日火曜日

Health Literacy

英語を母国語としない患者さんはもとより、英語が母国語でアメリカで生まれ育ったような人であっても、会話のなかですれ違いを覚えることがある。ちょっと例を挙げれば、

1.リスクの頻度 (何パーセントの人に某の副作用が起こる可能性、とかいうときの「パーセント」のところで患者さんの顔がちょっと?になる。なるべく何人に1人、とかいう言い方にするように心がけるが、つい癖でパーセントを使ってしまったときに、あっ、と思う)

2.各種同意書にサインをもとめたときの、患者さんの困った顔 (だらだら書いてあって、ぱっと見ただけで正直わたしも疲れちゃう。)

3.患者さんが使っている医学用語が、話の文脈のなかで矛盾を生じることがよくある。患者さんの発した言葉は、必ずしも患者さんの意味した言葉とは限らない。例:子宮頸がんにかかったことがある、と患者さんが言っても、カルテをめくる限りは 子宮頚部異形成 (cervical dysplasia) だけだったり。

リテラシー (literacy) というのは、日本語だと、識字能力とか読み書き能力にあたる言葉なんだが、Health Literacyという言葉をCDC(米国疾病管理予防センター)は次のように説明している。

健康に関する適切な意思決定をするために、基本的な健康に関する情報やサービスを手に入れ、処理し、理解するための能力。(原文は Health Literacy: the capacity to obtain, process, and understand basic health information and services to make appropriate health decisions.)

医療者自身が病気や治療の知識をたくさんもっていても、それをうまく患者さんと共有できないと悲劇も起こりうる。専門家として、知識の量、質を確保することと同じくらい、情報の伝え方、共有の仕方に気を払えるようになりたい。

リソースはここにあり。こういう内容をまとめてくれている人たちの努力・労力に感謝。まだちゃんと見てないが、自分のための記録としてリンクをはっておく。
http://www.cdc.gov/healthliteracy/index.html
関連記事(前に書いたブログ記事)
http://koimokko.blogspot.com/2011/07/blog-post_23.html

2012年3月13日火曜日

多言語サバイバル術

今日は3人スペイン語を母国語にする患者さんが続いた。「あーやっぱりスペイン語をやらなければ。」と思う瞬間である。各種同意書、問診表などもスペイン語版がないと困る。(あした本部オフィスに訴えよう。というか、今までなかったのが不思議。。。もしかしたら系列の別のオフィスにはひっそりと存在しているのかもしれない。)

パンフレット類はもともとスペイン語のものも用意してたのがあったので助かった。もし手元になくても、次のようなウェブサイトから必要なトピックをプリントアウトできる。PCとプリンタが使えないと痛いが。

Association of Reproductive Health Professionals のサイト:
http://www.arhp.org/publications-and-resources/patient-resources

アメリカ産婦人科医学会のサイト:
http://www.arhp.org/publications-and-resources/patient-resources

Medline Plus の外国語資料はスペイン語以外の外国語もある程度集めているので助かる。たとえば日本語では次のようなものがある。
http://www.nlm.nih.gov/medlineplus/languages/japanese.html

その次の患者さんは某国からの難民の女性。この国の言葉の資料はさすがになかなか用意できない。今日のオフィスは電話通訳サービスを使えない環境だったので、彼女もわたしもとにかく最大限がんばって会話するしかなかった。彼女の英語、とても聞き取りにくいが、よぉーく聞くと分かってくる。時間も根気もいるが、分かり合えると喜びは倍以上。

以前医療スペイン語の本を買ったものの、まったく続かなかった。モチベーションをあげるため、こんど市立図書館でやっている初級スペイン語教室に行ってみる予定。

関連記事(以前に自分で書いたもの)
http://koimokko.blogspot.com/2010/09/blog-post_30.html

2012年1月19日木曜日

電話通訳の費用

先月、電話通訳を使う機会が何度かあった。ボスがその請求書を見せてくれた。というか、ボスに請求書を見せられた。

概算すると、1分当たり3ドルほどかかったことになる。通訳の利用が1分で済めば3ドルは安いが、残念ながら診察は1分では終われない。

英語での診察であっても、初診であれば、どんなに急いでもやっぱり15分はかかる。(フィジカルイグザムより、ヒストリーに結構時間がかかる。)まして通訳を使うとなると、患者さん → 通訳 → 私 → 通訳 という具合に最低倍の時間がかかる。普段なら頼みになるはずの問診表ですら、患者さんが十分書き込めてなかったりするので、要所はやはり口頭で確認しないといけない。

で、請求書をみると、何月何日に何分の使用時間、いくらいくら、などとある。

ボスは、「必要なサービスはやんなきゃなんない。通訳は必要なのだから、費用は気にするな。」といいつつも 「ただいくらかかったのか、見せたかった。」とも言う。続けて、「通訳を利用する際は、普段以上に時間効率を考えてやっていってほしい。」と。

おそらくは、ボスのボスからコスト面でなんらかのプレッシャーがかけられたのだろうと推察するところ。

電話通訳なくしては会話がまったく成立しないような場面で、お金のことを気にしなくてはならないのは辛い。そうでなくたって、後の患者さんの待ち時間が長くなりすぎないよう気にしながら、精一杯効率を考えながら患者さんとコミュニケーションを図っているだけで、もう、目いっぱいなのだから。

家族や友達に通訳の役をさせるのではなく、なるべくプロの通訳を使うべき、というのがあるべき姿である。が、その費用を施設側が担うという「コストの重さ」について考えさせられた。