2010年11月28日日曜日

冬から晩秋の世界にもどる

500マイル、km でいえば 800km の道のりを無事に帰ってきた。休憩込みで9時間。やっぱり1日でやるときつい。朝は小雪がちらついて、車の窓に舞い降りた雪がそのまま凍って曇りガラスと化すのでこまった。Syracuse を抜けてBaffalo に近づくと青空になった。家の近所はまだ紅葉がちょっぴり残っていて、まだこの地は「温暖」なんだなと思った。

ホストファミリーは1ヵ月後にはニューメキシコ州に引っ越す。荷造りをたくさん手伝ってきたが、まだまだ大変だ。トラック2台で5日くらいかけて大陸をななめに(?)行くようだ。Mom が大切に育ててきた蘭はこの長旅(特に前半の寒い地方の部分)に耐えられないだろうということで、いくつかわが家にもらってきた。

2010年11月26日金曜日

感謝祭のお料理

今回の Thanksgiving dinner は3軒の家が集まった。 わがM家は両親、一番したとその上の弟、2番目の弟一家3人、3番目の弟とフィアンセ、ミシガンのおじさん、ミシガンのおばあちゃん、そして私。A家は一家3人、B家は一家6人。総勢21人。

最初はA家でスープ。 次にわが家でメインの七面鳥、マッシュとポテト、インゲン豆など。さいごにB家でデザート。こうしてご飯食べながらも、日本のとまとまんが元気かどうか気になって仕方なかった。旅の間はなかなか連絡がとれない。

感謝祭のための帰省


NY州のNorth Country という地方。文字通り「北国」。こういう道を延々走る。

この水曜日はもうむちゃくちゃであった。月・火とも別のオフィスに行っていたため仕事がドサッと机に山積みになっていたところに診察も大にぎわいで、さらにそこへ別のオフィスからの電話とか何本もかかってきて。。。ボスはとにかくもう帰りなさい、と言ったがぜんぶをそのまま置いていくわけにもいかず、どうしても急ぐものだけやってようやくオフィスをでた。

そのころには渋滞も緩和していたのかたいした混雑にもあわず、 Rochester, NY まで休憩込みで5時間半かけて走った。簡単なホテルに泊まり、翌朝残りの4時間を運転。1人で運転するのはすこぶるつまらない。ともかく無事に着いて感謝。

ここ北国に私のホストファミリーが住んでいる。15年前にミシガン州で11ヶ月にわたって私を預かってくれた人たち。年末にも彼らはニューメキシコ州に引っ越すことになったので、ここに私が来るのもこれで最後かも。

ねこヨガ

 出演: ナナコさんの愛猫、メアリーちゃん
彼女の柔軟性を見習いたいものです。

2010年11月17日水曜日

バイオリンのレンタル

小学生のころ、私はバイオリンに関して相当のワルだった。レッスンに行ってから次の週のレッスンまで楽器のケースすら開けないこともしばしば。母にも徹底して反抗。やっと高校生くらいになって少しまじめに練習した時期もあった。オーケストラをやっていたときはわりと練習してた。

留学にあたってはバイオリンは持ってこなかったので、帰省のときを除きかれこれ3年間ぜんぜんバイオリンを弾くこともなかった。ふとしたきっかけでバイオリンをレンタルすることにし、2週間ちょいまえに楽器屋さんに行った。最初の4ヶ月は$24.95 。5ヶ月目からは月々$17.50とのこと。今になってバイオリンを弾きだしたと知ったら、私のバイオリンの先生はお腹を抱えて笑うだろう。

最初店員さんが1台出してくれて、それでもう決められそうだったが、弾きくらべたいと言ったら、もう2台出してきてくれた。小さな部屋に案内されてそこで弾きくらべてみて一番気に入ったのを借りた。

ビギナー用ということもあって、高品質を求める方にはいまいちだろうが、楽器本体はそんなに悪くないとおもう。ともかく弾ける。ただ弓が問題で、軸の部分は木ではない素材。木製のより重い感じ。弾きづらい。(偉そうによう言うわ。)松脂はケースに付属。肩当ては別に購入。

早速こんどピッツバーグにある日本人の合唱団の人とローカルな舞台に立つことになったので、それにむけて練習している。日本の秋の歌など。

2010年11月14日日曜日

Emory Cares Everywhere

昨日はエモリーの卒業生や学生が世界各地でボランティア活動をする
Emory Cares International Service Day 2010 だった。
自分のコミュニティーに貢献しよう、恩返ししようというエモリー精神ならではの活動だとおもう。

大きな都市だと卒業生同士がどこかに集まって一緒に活動する。今年はどこに住んでいても、自分たった一人でも活動できるように、Emory Cares Everywhere  という新しい試みがあった。

「どこで何をします。」ということをオンラインフォームに書いて申し込むと、ちゃんといっちょまえに Tシャツを送ってきてくれて、気持ちは大きな都市のイベントにも負けずに地元で活動できるのだ。

私はピッツバーグ桜プロジェクトの植樹会に参加して、総勢80人ほどのほかのボランティアの人たちと一緒に18本(たぶん)の木を North Park に植えてきた。晴天に恵まれて作業もはかどり、予定よりも早く植え終わった。

ピッツバーグにいると、エモリーを知っている人は少ないし、エモリー のロゴをつけた車やTシャツを見ることもほとんどないし(周りは Pitt とか CMU のロゴが目立つ)で普段はさみしい。今回送ってもらった Tシャツを着て、世界中でおなじときに活動している 卒業生の姿を想像するだけでなんだかすごくわくわくした。看護学部のモットーである scholarship, leadership, and social responsibility の話をしてくれた Dean (学部長。今はワシントン大学に行ってしまった)の話や Service Learning のことを思い出して、またまた気持ちが盛り上がった。

2010年11月8日月曜日

時差14時間

日曜日に Daylight saving time (いわゆる夏時間)から標準時間に切り替わった。それによりアメリカ東部時間と日本との時差は13時間から14時間になった。この1時間がけっこうあなどれない。

私の仕事は午後4時で終わる(ことになっている)。時差13時間だと、急いで仕事を片付けてバスに飛び乗って5時に家に着けば、とまとまんを起こすのに間に合った。(日本時間の朝6時。)起こせないとしても、出勤までには間に合うことがほとんど。

時差14時間になると、午後4時が日本時間の朝6時にあたるので、もはや目覚まし時計の役目はできない。出勤する朝7時にぎりぎり間に合うかどうかというところ。(今日は間に合わず。)

逆にとまとまんの方は、夏時間の場合夜7時に帰ってこないと私を朝6時に起こすことはできなかったが、冬時間の場合は夜8時にスカイプすれば同じアメリカ東部時間の6時に間に合う。だから余裕。

とまとまん曰く、「時差13時間のとこに引っ越せばええんちゃぅん?」
私「時差13時間のとこ? ほんなん海の上やで」
(central time zone に引っ越したら、むしろ時差は15時間に開く。)

去年別のオフィスに勤務していたときは、オフィスまで徒歩5分のところに住んでいたけど、ピッツバーグに引っ越してバス通勤になったので、前ほど簡単でなくなった。

というわけで、仕事はなるべく定時に切り上げて、その分翌朝早く出勤する生活をやってみようと思っている。めざせ朝型人間だ。

2010年11月7日日曜日

東京25区について訂正

前の記事で東京25区について触れましたが、東京25区とはカリフォルニアはカリフォルニアでもでもLAに近い Torrance というところのことを指すと友達が教えてくれました。たしかに、カリフォルニアといえども広し。(日本の総面積よりも広い。)

ウィキペディアで Torrance の説明があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9_%28%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E%29

2010年11月4日木曜日

カリフォルニアの旅のサマリー

サマリーだけではもったいなさすぎるのだが、これ以上書くのを延期してはまずいので、今日という今日はともかくできるだけ書く。

先月のカリフォルニアの旅は2本立てだった。

1.日本人のナース仲間との時間
カンファレンスが始まる前の週末を利用して、カリフォルニアに住むナース仲間4人+家族に会うことができた。メーリングリストを通して知り合った友達、かつて大学時代にお世話になった先生、アトランタ医療従事者の会のときからの友達など。まったく初対面(といってもメーリングリストやスカイプではコンタクトしていた)の友達も2人いたが、まるでずーーーーっと前から知っているような感覚だった。

居酒屋でのご飯とおしゃべり、海岸沿いをサイクリングしてまたおしゃべり、顔にパックをしながらまたおしゃべり。料理を大量に作りつつおしゃべり。食べながらまたおしゃべり。ずっと話せる。

A子さんの職場でシャドーウィング(その名の通り彼女の影として仕事についてまわる)をさせてもらう機会にも恵まれた。自分の知らなかった仕事のあり方、またA子さんの活躍ぶりを間近に見られて、極めてエキサイティングな体験だった。A子さんは自分が目指す目標に向かって、これまでも今も努力を惜しまない。夢をかなえるにあたって今の自分に不足しているものがいろいろあっても、少しずつでも着実に準備をしていけば夢は実現するのだ、ということをみずから証明するような生き方をされている。彼女に勇気と元気をもらう。

聞くところによると、ハワイは東京24区、カリフォルニアの Torranceは東京25区という別名があるらしい。ミツワとニジヤという日系スーパーに行ったが、そこはもうほとんど日本だった。違いは円じゃなくてドルで値段がついていること。お惣菜の品揃えといい、試食コーナーといい、日本みたい。チャイナタウンの中国系スーパーも素晴らしかった。アジア食材・雑貨へのアクセスは、ピッツバーグは東京25区に完敗である。

先ほどのA子さんの職場でもアジア人をはじめいろいろな国の出身のスタッフが働いている様子が私にはとても居心地よく映った。

天気ーー青空~~~~

2.NPWHカンファレンス
10/13がプリカンファレンス、翌日から3日間が本カンファレンスだった。

三大収穫:
  1. 話しぶりから伝わってくる講師のパッション、ミッション。日本で11年前に会ったSさんとの再会も忘れられない。
  2. これから勉強すべきことがむっちゃいっぱいあることの再確認。(今回新しくなにか学んだというよりは、学ぶべき内容がごっっそりあるのだというリストをもらってきた心境。
  3. エモリーの同級生2名、先生2名との再会。
すばらしいプレゼンテーションは内容のみならず、話しぶりがすばらしい。CD-ROMを買おうと思っている。

子宮頚がん対策について話をする準備

こんど日本人コミュニティー向けに子宮頚がんについて話をすることになり、
お知らせ文を作った。昨夜草案を書いて、仲間とナナコさんに見てもらい、
今晩彼らの助言をもとに文章を練り直した。

ともかくお知らせ文だけ先に出しておかないと、当日お客さんゼロ、
スタッフだけ、ということになってしまうので、これだけ先に作ったわけ。
こんどはパワーポイントづくりや。
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『知って対策、子宮頚がん
  ~ワクチンと検診の2本立てで予防する時代の心得~』

みなさんの子宮頚がん対策は万全ですか?
  そもそもシキュウケイガンってな~に? 
  子宮頚がん検診ってどんなことするの? 異常と出たら不安だなぁ。
  小児科医が娘にHPVワクチンを勧めるんだけど、どうしようかしら?
  アメリカでは男性にもHPVワクチン接種をやっているらしいよ。
  日本では子宮頚がん検診のためのクーポンがあるってよ。え、ほんとー??


いろんな声が聞こえてきますねー

子宮頚がんとは、子宮の入り口の部分にできるタイプのがんです。
かつて子宮頚がんの予防は、検診によって「前がん状態」を早期発見し
本格的ながんになる前に治療を済ませることが対策の中心でした。

近年では子宮頚がんの大きな原因となるヒト・パピローマウイルス(HPV)
に対するワクチンが開発され、「前がん状態」をも未然に防ぐことをめざす
時代に入りました。

年齢に応じたかしこい予防策を立てることが肝心です。
今回はそのための基礎情報をみなさんにお伝えしたいと思います。
日本とアメリカの子宮頚がんを取り巻く事情の違いにも触れます。

また子宮がん検診のために実際にどのような診察を受けることになるのか
についてもお話したいと思います。不要な不安をとりのぞき、安心して
受診していただくためのお手伝いができたらうれしいです。

男性の参加も大歓迎です。子宮頚がんは私たちみんなの問題です。
みなさまのお越しをお待ちしています!

(中略)
プログラム(予定)
1.10:0010:45  パワーポイントを用いたプレゼンテーション

* 子宮頚がんとは

* 子宮頚がんの原因

* HPV感染からがん発症まで

* 子宮頚がんの予防方法

* 日米の検診・ワクチン事情の違い

* 検診に行こう!

* 異常検査結果がでたらどうするか

2.10:4511:15 質疑応答

(以下略)

わんさか陽性結果

先日近くの大学と専門学校を対象にクラミジアと淋菌感染症のスクリーニングをしたがために、
陽性の検査結果がわんさか返ってきてます。

患者さんへの電話、薬局へは薬を依頼する電話(あとで患者さんが薬局に薬を取りに行く)、それが終わったら州の保健省への連絡(オンラインで治療を報告する)、そういったことをばたばたとやってます。