2009年1月31日土曜日
スティーラーズ熱
地元民の熱狂振りは、ものすごい。クリニックでも、ここのところ毎週金曜日はスティーラーズの服を着てよいということになっていた。メディカルアシスタントのサリーは、イヤリングもユニフォームも、ばっちりスティーラーズのグッズで決めていた。わたしはテリブル・タオルしか持ってないので、着れない。昨日銀行に行ったら、カウンターには50cm間隔ぐらいで「行け!スティーラーズ!」という感じのポスターが張ってあり、職員の人はみんなスティーラーズの服を着ていた。新聞紙上では、ペットや赤ちゃんにスティーラーズの服を着せて、コンテストをやっている。スーパーにいけば、お客だけでなくレジの人も、スティーラーズの服を着て、キャップやスカーフを身に着けている。テレビ観戦に備えて、おつまみを売る山、フットボール型のケーキ、etc. 今日はスーパーがとても混んでいた。
ペンシルバニアから、相当な数の人が、フロリダ州タンパまで観戦にでかけているらしい。もしスティーラーズが勝ったら、6回目の全米王者ということだ。
2009年1月30日金曜日
2009年1月29日木曜日
医療のコスト、医療へのアクセス
でも、なんでもかんでもがカバーされるわけではない。例えば、婦人科的診察の結果、次のステップとして超音波の検査をオーダーしたいと思っても、超音波検査が患者さんのプログラムに含まれていない場合、費用は患者さんの全額負担になってしまう。いちおう、検査依頼の紙は患者さんに手渡すけれど、そこから先、実際検査に行くかどうかは患者さんの気持ちとお財布事情にまかされてしまう。(超音波の機械は、クリニックにないので、病院なり検査専門の施設に行っていただく。) 日本だと、超音波の機械なんて、診察室に必ずと言っていいほどあるし、わざわざ超音波検査だけのために新たな予約を取らなくたって、すぐその場でぱっとやれてしまうことも少なくない。)
患者さんの経済状況によって、行える医療に制限がかかってしまうのはとても残念だ。
ただ見方を変えれば、医療へのアクセスがまったくなかったかもしれないのに、一定レベルの医療に預かれるのだから、それだけでもまし、という評価もできなくはない。でもこれもさみしい。
医療に関してコスト意識がないと、あまりに安易に受診してしまうという問題も出てくるが、医療費が高すぎると、ほんとにどうしようもない状態になるまで受診を控えて、病気を進行させてしまうリスクがある。状態が悪化すればするほど、治療は大変になるし、お金もかかる。限られた医療資源とお金をうまくつかうためのシステムは国によって違うけど、アメリカにはもうちょっと「困ったときはお互い様」のこころがあったほうがいい気がする。貧しい人でも、そこそこまっとうな医療に預かれることが、結局みんなのためや、というところに落ち着かないものか。
2009年1月28日水曜日
出張@大学の診療所
この雪の中、近くの町にある大学の学生用の診療所 に、ティーナとサリーと出張した。ここには大体3週間に一度のペースで行くとのこと。ティーナがジープを運転してくれるので、わたしは運転の心配なし。ほっ。
診察台は、かなり古い型のもので、かかとを置くところがちょっと一難あった。が、それ以外は、アンティークっぽい椅子や引き出しに囲まれて、昔風のホテルのような部屋だった。アトランタでもある大学の同様の診療所 へ1学期間実習に行ったが、そこもとても居心地のよいところだったのを思い出す。
診察の内容は、普段のクリニックでやっていることとそんなに変わらない。女性向けの健康診査(子宮がん検査、クラミジア・淋菌感染症検査を含む)、避妊の相談とピルなどの避妊薬の処方、性感染症のスクリーニング、など。普段と違うのは、患者さんの質問がむっちゃ鋭いこと。インターネットでリサーチをした上での質問も多々あり。それから、話が未来志向であること。いつ卒業するんだとか、その後のプランはこうなんだ、とかという話がよく出てくる。目に元気が感じられるのがとても印象的だった。
午後はクリニックに戻り、通常の診療。大荒れの天気の中で、自主的にキャンセルする患者さんがぽつぽつあって、普段よりも時間に余裕が持てた。
最近、ほぼ毎日トリコモナス(性感染症のひとつ)に出会う。顕微鏡の元で、元気に泳いでいる姿を見つけるのが速くなった。技術の向上という意味ではよろしいが、感染している患者さんが多いというのは、ちっともめでたくない出来事である。
YMCAは、開いてはいるものの、クラスはすべて中止だった。しょうがないので、歩く機械の上でがんがん歩いた。勾配も設定できるということを初めて知った。
2009年1月27日火曜日
洗車に行く
まずは隣のおじさんがやっている様子を観察した。つぎに、機械に25セントコインを5枚入れて、予洗い → せっけん洗い → 高圧で流す の順にボタンを押して洗ってみた。(ほんとはもっといっぱい機能がある。けど、1回の投入金額で洗える時間は短いよ、とおじさんが教えてくれたので、あまり欲張らなかった。) 手がむっちゃかじかんだ。洗い流すそばから、さっそく車の表面が凍てついた。家に帰ってきたら、車のおしりにツララがいっぱい。ともかく、車にこびりついていた塩を洗い流せたのでよかった。(塩というのは、凍結防止のために、道路にまいてある塩のことです。おかげで車が傷みます。)
さてさて、
このところほぼ毎朝、し・つ・こ・く CGFNS にかけていた電話がついに功を奏したのか、CES レポートがやっと発行され、即日ペンシルバニア州の看護局に電子データで伝えられた。よってめでたく、ペンシルバニア州の正式の看護師免許が下りた。
金曜の時点で、「あと35から45営業日かかります。」と恥ずかしげもなくのたもうたCGFNS。毎朝8時のわたしの電話に降参してくれたのかどうかは定かでない。(平日8時から12時までしか電話を受け付けないので、このところ毎朝一番の仕事として、職場から電話をかけさせてもらっていた。)
残りは、ナースプラクティショナーの免許である。念のため、ペンシルバニアの看護局に、ジョージア州からの免許証明書は届いてますよねぇ、と尋ねたところ、否という。んなあほなと思いつつ、ジョージア州の看護局に電話。するとまぁ、今日やっと発送したところだという。まったくのんびりである。ともかく、この証明書がペンシルバニアに届き次第、NP免許も取れる見込み。急に光が見えてきたぞ。
The squeaky wheel gets the oil. (キーキーいう車輪には油が注される。つまり、きしむ音を立てないと、物事は動かん。)ということわざ(?)の実践。
2009年1月26日月曜日
無料の専門誌
最近知ったことだが、ナースプラクティショナー向けの無料の雑誌がいくつか出ている。写真のはそのうちの一誌で、プライマリーケアに関する内容の記事が多い。ティーナがためていたバックナンバーをいくつかもらってきた。
肥満治療の手術の話とか、皮膚がんの一種であるメラノーマの話とか、自分の専門ではないけど全く関係なくもない話題が載っていて、おもしろい。晩ご飯の友である。(朝ご飯のときは、とまとまん とスカイプするので、朝は読まない。) 行儀悪いとはおもいつつ、ついつい。
メラノーマの記事を読んだ後は、やたらに患者さんのほくろが気になってしょうがない。記事に影響されて、過敏になっているわたし。
話変わって、
先日のこと、ドラッグを使っている患者さんでものすごく多弁な方があった。おしゃべり、という域ではない。どこで息ついでるの?と思うくらいに話が止まらない。話の内容は、決して支離滅裂というわけではなく、それなりに筋が通っている。が、こちらが口を挟むスキを与えないので、会話にならない。わたしは人の話に折って入るのが苦手なので、患者さんの流れる話になかなか入っていけなかった。様子を見に来たティーナが、パシッと二言三言で結論を言ってくれて、その場は救われた。新しい体験をした。
2009年1月25日日曜日
もやし
アトランタのY子さんが、去年の誕生日にくれたビンで、もやしを育てている。一晩豆を水につけておいて、その後ビンをひっくり返して待つこと1日くらいで食べられる。緑色のふたは、ザルのように穴が開いていて、水が切れるようになっている。みそ汁に入れて食べるのがおいしい。
先週と同じ教会の、朝9時の礼拝に行ってみた。歌が若者向けのノリだった。楽譜なしで歌詞だけみて歌うのは、わたしにはちと難しい。(だって、英語の歌って、1つの音に、いっぱい言葉が入る。) 聖書の朗読のときは、耳では英語を聞き、目では日本語の聖書を追ってみた。これがなかなかいけるということがわかった。聞くだけだと、なにも頭に残らない。
教会から帰ってきた後、車を洗おうかと思ったが、寒いので午後になってからにしようと思っているうちに、雪が激しく降ってきてしまった。自分で洗うつもりだったけど、お店に行ったほうがよさそうだ。(じゃないと、いつまでも洗わない可能性大。)明日職場の人に、お勧めの店を聞いておこう。
喉の痛みはよくなったけど、今度はむずむずしてきて、このままいくと咳がでてきてしまいそうな予感。仕事に出ると、しゃべりまくらないといかんので、今日はもう寝よう。
プロトコルは、今日は厚さ4mm分くらい読み進んだ。まだまだ先は長い。
2009年1月24日土曜日
本の差し入れ
昨夜、会社のスタッフの懇親会がレストランであった。スタッフは無料で、ゲスト1名連れてきてよい。(ゲストは25ドル) わたしはこの季節にしかも夜遅くに運転するのはまだ怖いので(会場が1時間くらい遠いところなので)、最初は欠席と伝えたのだが、クリニック長のキャリーが車に乗せて行ってくれるということになり、連れて行ってもらった。
本部のオフィスに勤めているひと、ほかのクリニックに勤めている人などと会えたし、ご飯もすごくおいしかったので、行ってとてもよかった。ただ、わたしの記憶力は、金曜夜までにすっかり容量オーバーだったので、あいにく新しく出会った方々の名前をぜんぜん覚えられんかった。ご飯の後、じぶんには踊る体力がもうなかったけど、人が踊るのを見ているのはとても面白かった。帰りの車の中では寝てしまった。。。
さて、
氷点下を脱出したのは2日だけで、今日の最高気温はマイナス8度だった。雪が解けて水になったあと、また凍っているところは、むっちゃ危ない。今日は晴れたので、気分的には少し救われた。あいかわらず雪はしつこく残っている。車の上の雪は解けたけど、全身塩をかぶっていてとても汚い。洗車すべきか、でもまたすぐ汚れるからおんなじか。
ペンシルバニア州の運転免許に切り替えるために役所に行った。でも担当者が慣れていなくて、また出直すことになってしまった。がっくり。
Aldi というスーパーにはじめていった。カートは貸し出し制(25セント)で、25セントを取り戻すためには店の入り口まで自分でカートを返しに行かないシステムが面白い。アルディーで買えなかったものを、この前行ったのとはまた別の Giant Eagle で買い足した。帰りに、アーミッシュの人の馬車を見かけた。
昨日は喉が痛かったので、YMCA はさぼった。今日はよくなったので、3マイルだけ自転車をこいできた。2マイルは競技場みたいなところを走り、最後の1マイルは丘陵地を走った。(そういう風景が画面にでる。坂道はペダルが重くなるので、ギアを適当に自分で調整する。)
今週は、仕事面はさらに充実してきたけど、CGFNSとの戦いのせいで、精神的には疲弊した感が否めない。自分はまっとうにやっているのに、適当にはぐらかされ続けるのが、なんともしんどい。お金を払って証明書の発行を頼んでいる側のわたしが、なんでこんなに嫌な思いをし続けなきゃなんないの、と思ってしまう。CGFNS との戦いは今になって始まったことではないが、本当に疲れる。
2009年1月23日金曜日
氷点下脱出
きょう休みを取っていたティーナに代わって、系列のクリニックからタミーがやってきて、診察を担当した。わたしは主に彼女のアシスタント的役割をした。
タミーはファミリー・ナースプラクティショナー。学生のときに、わたしが勤めているクリニックに実習に来たのが、この組織に勤める大きなきっかけになったらしい。タミーが勤めているクリニックは、わたしのところよりも規模が小さく、彼女はそこの唯一のナースプラクティショナーだ。昨年の5月に卒業したばかりだとは思えない。
同じことを患者さんに説明するのでも、人によって、使う言葉が微妙に違う。今日、タミーの話す様子を聞いて、「あ、そのせりふもらった。」と思う場面が何度もあった。
今朝から喉が痛い。かりんシロップ(日本から持ってきた)を飲んでるけど、すっきりしない。気をつけよう。
2009年1月22日木曜日
男性が行きやすいクリニックをめざして
3つある診察室のうち1つは、なるべく男性にとって居心地のいい空間にしようと、壁紙の色からして、工夫を凝らしている。このあたりの地域は、フットボールのピッツバーグ・スティーラーズのファンがむちゃくちゃ多いところ。(男性に限らず、女性も結構熱狂的だ。)というわけで、壁にはスティーラーズの「テリブル・タオル」というタオルほか、スティーラーグッズをいくつか張っている。写真のタオルは、年末にアトランタから引っ越してきたときに、H家からもらったもの。これを振り回して、しっかりスティーラーズを応援するように、と。
性感染症の検査や治療のみの目的で受診する患者さんは、州政府プログラムによって費用がカバーされるので、無料。
「自分はなんともないんだけど、ワイフ(または彼女)がクラミジア(or 淋菌)感染症にかかってたって言うんで来ました。」、という患者さんもあるし、「安心のために、たまにはチェックしておきたいんだ。」という方もある。
検査項目は、クラミジア、淋菌、梅毒、HIV の4つ。クラミジアと淋菌は尿のサンプルで、梅毒とHIV は血液のサンプルで調べる。問診の後、外性器の簡単な診察もする。ここで睾丸の自己検診の話を必ず取り入れる。睾丸がん(=精巣がん)は、乳がんと同じく、自己検診が早期発見のために大事だから。性感染症のリスクをより減らすにはどうしたらいいか、というトークも忘れない。
検査の結果は1週間で出る。 HIV以外の3つの検査の結果は、陽性だった場合のみ、患者さんに電話で報告する。HIV の結果は、陽性・陰性にかかわらず、患者ご本人に直接伝える(電話は不可)ということになっているので、1週間後以降に患者さんが来られたときに伝える。
パートナーがクラミジアもしくは淋菌感染症になっていた、と報告する患者さんには、検査結果を待たずに、その日のうちに治療を開始する。
スティーラーズや、テリブルタオルについて、興味のある方は、Wikipediaに次のような記事があったのでどうぞ。(日本語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BA
2009年1月21日水曜日
やっとハンズ・オン
ジョージア州の看護師とナースプラクティショナーの免許を、ペンシルバニア州の免許に書き換える(正確には、両方の州の免許を持てる)ための手続きに、思いがけず時間がかかっている。私の看護学教育が日本すなわちアメリカ国外だったという理由で、すでにジョージアの免許を持っているのにもかかわらず、また改めて看護学教育と日本での免許の評価が課されたため。(ペンシルバニア州はこの意味でとても失礼である。)
教育内容と免許の評価をするのは、CGFNSという機関。この機関には、留学する前から何度となく泣かされてきたが、あいかわらずとても怠慢で不親切でいいかげんで困る。ここがなかなか評価レポートを発行してくれないおかげで、ペンシルバニア州の免許が下りない。
でも唯一、看護師の仮免許(temporary permit)だけが発行された。ジョージアの住所に送られていたのを、元ハウスメイトのローズさんに転送してもらって、無事手にすることができた。このおかげで、今まではティーナの見学しかできなかったのが、ティーナの監督の下で、実際に手を動かすことが出来るようになった。実習学生なみのことが許されるようになったわけだ。
当たり前だが、見るだけのと、実際に自分がやるのでは、天と地ほどの差がある。実践には、ティーナに最近学んだことだけじゃなくて、アトランタでの実習の先々でお世話になったプリセプターの名セリフや、授業で習ったことや、もうそれこそ私の持っているすべて、で向かう。が、まだここのプロトコルに慣れてないから、時間がかかるし、ぎこちなさは否めない。患者さんの入っている保険によって、検査に使う容器が違ったり、保険のあるなしによって、クリニックで保管している薬が患者さんに渡せたり渡せなかったりすることとか、とてもややこしい。
私は「新しく入ったナースプラクティショナーの小芋です。」と自己紹介する。ティーナも「小芋はまだここに来て間もないから、私が監督しないといけないのよ。」と患者さんにざっくばらんに言う。患者さんは、「あ、そう。がんばって。」とか言ってくださる。たまに嫌そうな患者さんもいないわけではないが、たいがいは皆さんあたたかい。
仮免ではあるが、看護師なので、処方箋のcall in もできるようになった。ここでいうcall in というのは、薬局に直接電話して、口頭で処方箋の内容を伝えるという意味。(私が処方内容を決めているわけじゃなくて、あくまでティーナの決定した処方内容を薬剤師に伝える役目。)
「△△クリニックの看護師の小芋です。○○医師(クリニックの提携医)下の処方箋です。患者さんの氏名は~~~、生年月日は~~~、処方薬は**(投与方法、投与経路、用量、頻度、合計量なども指示)、ご不明な点がありましたら、***までお電話ください。」 という具合。
単純作業と言ってしまえばそれまでだが、これをやると、すごく処方箋の書き方の勉強になる。
YMCAのその後: 昨日はズンバダンス。今日はブートキャンプ。今のところ、毎日通ってちょうど1週間。
寒さのその後: 今月に入って、最高気温が0度を超えたのは6日間だけ。この前の土曜日の朝は、マイナス26℃。今朝はマイナス18℃。ティーナは、毎朝のように、「毎年こんなに寒いわけじゃないのよ。今年は特別。」と強調する。あんまり寒いので、私が仕事に来なくなっちゃうんじゃないかと、少し心配している模様。
2009年1月20日火曜日
コルポスコピーとたばこのこと
写真: この前「東京商店」で買った納豆。水戸の「水」の字の上に、2.19と書かれた値段のシールが貼ってある。(写真をクリックすると、拡大できます。でも拡大しなくてもいいです。) 水戸出身の小芋としては、納豆は重要です。でもこのパッケージを水戸で見たことはないです。おかめ納豆など他のメーカーのものもあったのですが、これが一番安かったので、つい値段で決めてしまいました。
火曜日の午前中は、コルポスコピーやIUD(子宮内避妊具)の挿入などのprocedure (処置)の時間ということになっている。が、無断キャンセル率の多いクリニックなので(3割以上ーー天気にもよる)、他の患者さんの予約も入っている。無断キャンセルする患者さんの人数は、日によって違う。クリニック長の判断で、このところ日々の予約数を実際に可能な数よりかなり多めにしてしまっている。だから、たいがいナースプラクティショナーにしわ寄せがくる。
それはともかくとして、
ティーナはコルポスコピーの資格を持っているので、子宮頚部細胞診(いわゆる子宮頚がん検査)の結果、異型性(正常の細胞と違って形のいびつな細胞)の結果がでた患者さんのフォローアップが自分で出来る。
子宮頚部細胞診では、子宮頚部の部分をヘラとブラシのようなものでやさしくこすって、その部分の細胞のサンプルを取る。それを検査機関に送ると、細胞が正常な形をしているか、それともちょっといびつなものがあるか、すごくいびつなものがあるかを調べてくれる。いびつになるほど、がんへ移行している(まだがんじゃないけど、もはや正常ではない細胞)、または本物のがんの可能性があるので、調べないといけない。
そういうときに活躍するのが、コルポスコピーという機械。発音しにくい名前をしているが、要は顕微鏡。子宮頚部(頚とは首といういみで、子宮頚部というのはつまり、子宮の入り口の部分のことです)を20倍くらいに拡大して見られる。(顕微鏡という割には倍率があんまりないね。) で、肉眼で見るよりも、表面の色や形を詳しく見ることができる。
コルポスコピーは、子宮頚部を緑色(青のこともある)の照明で照らす。さらにお酢を綿棒につけて、子宮頚部に塗ると、異常のある細胞のある部分が、白く浮き出てくる感じになる。ちなみにお酢は、そのへんのスーパーで売っているお酢。どこがより白いか、白い部分は平たいか・それとも盛り上がっている感じか、などを観察する。盛り上がっているところは、特にあやしい。平らでも、タイルみたいな模様が入っていたりすると、あまりよろしくない。
全体像が頭に入ってから、異常が疑われる部分の組織のかけらを ぴきっと取ってきて、これを検査に出す。あと、子宮口のすぐ内側の部分はコルポスコピーでは見えないので、その部分の細胞もぬぐってきて、検査に出すことが多い。
私はコルポスコピーの資格はないので、自分でコルポスコピーをすることは当面はないけれど、ティーナが観察している内容を自分も知っておくことは、自分が子宮頚部細胞診をする上で、とっても役立つ。(異常な場合の見え方を知っていないと、正常な場合を「正常だ」と自信を持って言えないでしょ。)
ティーナはカルテに観察した様子を、絵と言葉で記録する。絵は大事。
コルポスコピーを経験する患者さんの多くは、タバコを吸っている。ティーナは、すきあらばすぐ禁煙の話を織り交ぜるのが得意だが、コルポスコピーのときは、特に熱が入る。喫煙は、肺や気管支などの呼吸器に悪いだけじゃなくて、子宮頚がんとも関係が深いのだ。
ちょっと説明してみる。
子宮頸がんの背景には、HPV(ヒトパピローマウイルス)というウイルス感染がある。HPVはとてもありふれたウイルス。人間に悪さをさほど起こさないものもあるけど、性器のまわりにイボを作る困ったタイプ、子宮頚部にじわじわと進入し細胞を異常化させてがんに発展させる、ワルのタイプもある。
健康で、免疫力がある人は、性的な接触で(インターコースに限らず)パートナーからHPVをもらっても、自分の免疫力でウイルスをノックアウトできることが多い。たとえ、ワルのタイプのHPVが子宮頚部の細胞を異常化させても、何ヶ月かのうちに正常に戻せることが多い。
ところが、スモーカーの場合だと、
タバコによって、免疫力が日ごろから落ちている → 本来なら体が持っている、異常細胞を修復して正常化させる能力が十分発揮されない → 異常な細胞が体から減ることなくむしろ増えていく → がんへの道
というわけだ。
タバコを毎日1箱吸うと、年に1600ドル(16万円くらい)かかっているのよ! とティーナ。失業などで公的扶助を受けている患者さんで、タバコを吸って、ますます自分を厳しい環境に置いている人も少なくない。お金を払ってまで、不健康になるのは、むちゃもったいない。そしてそのお金が、他のひとがせっせと働いて収めた税金かと思うと、なおさらもったいない。
若くして(たぶん子どものときから)はじめたタバコは、なかなかやめられない。最初から吸わないに限る。大人の患者さんにタバコやめて!、と懇願するより、子どもたちに タバコは絶対あかんよ、と伝えるほうがたぶん楽。
臭くない診察室、大歓迎。(ドア開けたとたんに、ぷんぷんとにおうのです。患者さんの服に、タバコ臭がしみついているってこと。)
あと、HPV(ヒトパピローマウイルス)のワクチンをバンバン打ちたい。まだ高すぎて(125ドルくらいのを3回接種する)、利用できない患者さんが大多数。とても残念。ちなみに日本では、ワクチンはまだ治験の段階。
2009年1月19日月曜日
プロトコル
今日はキング牧師を記念した祝日で、クリニックもお休み。去年参加したアトランタでのパレードを思い出しながら、たまっていたメールの整理 、各種住所変更(銀行、学会など)、年賀状を下さっていた方へのお返事書きなどを進めた。
厚さ6cmはある、クリニックのプロトコルのほうは、ぜんぜん読み進んでない。(写真参照) 晩御飯食べてから読みます。
YMCA通いは5日目。今日はピラテスのクラスに行った。ピラテスはヨガのクラスと同じ動きもあるけど、より筋トレの要素が強いかんじ。動きはゆっくりだけど、けっこうしんどい。
ちなみに昨日はスピニングのクラスを試した。スピニングって、自分が回るんかと思っていたら、まったくそうではなかった。要は自転車こぎ。音楽に合わせて踏むスピードやギアを自分で変える。50分のうち、半分以上は、お尻を上げた状態でこいでいた。汗をいっぱいかいた。
2009年1月18日日曜日
日本食買出しの旅
アトランタから持ってきていたお米が残りわずかになったので、昨日思い切ってピッツバーグまで買出しに出かけた。ピッツバーグ便利帳というウェブサイトで知った、「東京商店」というお店に行った。ピッツバーグで唯一の日本専門店とのこと。
雰囲気としては、アトランタの「とまと」をすこし小さくした感じ。日本のコンビニくらいのサイズ。価格は「とまと」より全体的に高めだけど、そもそもペンシルバニア州の物価は全体的にジョージア州よりも高いので(食品に限らず、ガソリンもそう)、これはしょうがないと思った。これだけ日本食を集めて売ってくれるだけありがたい。食品に限らず、雑誌や生活雑貨も売っている。「とまと」もそうだが、日本のものだけを集めて並べているので、狙いのものを探しやすい。(アジア各国の店のものをいろいろ集めて売っている店は、それはそれで楽しいのだけど、商品が多すぎると、探すのがちょっと大変。)
昔は、日本人のお客さんが多かったけど、最近は企業がピッツバーグから引き上げてしまったこともあって、アメリカ人のお客さんのほうが多くなっているんですよ、とお店のおじさんが教えてくれた。
お米は、「錦」にするか、「国宝」にするか迷ったあげく、今回は錦(無洗米)20ポンド(9kgくらい)にした。 他にしょうゆ、みりん、料理酒、酢、みそ、納豆4パック(冷凍)、ふりかけ、高野豆腐、かぼちゃ、だいこん、ちんげんさい、もやし、とうふ(森永の長期保存パック12個いり1箱)、天ぷら粉を買って、しめて97ドル5セント。おっとー。思ったよりも高かった。
行きしな、高速道路で急に雪が激しく降ってきて、危なかった。道路の線がまったく見えなくなっちゃったので、前の車に必死にくっついて、その車の灯りを頼りに進んだ。次に行くときは雪が絶対降らないときにしよう。ウィンドーウォッシャーの液は吹き出し口付近が凍っていて出てこなかった。ゆっくり走ったこともあって、行き + 買い物 + 帰り で、合計4時間くらいかかってしまった。えらい旅になった。
お米と基本的な調味料が揃ったので、しばらくは近くのスーパーでの買い物だけでも生きていける。
2009年1月17日土曜日
筋肉痛
2009年1月16日金曜日
セーフティーネット考
健康保険に入っていない患者さんの場合、収入と家族の人数に応じて、受診や処方薬の費用が援助される種々のプランがある。
収入が全くなかったり、わずかだったりすると、自己負担がほとんどなしになるのだが、収入が基準ラインを超えてしまうと、実際にかかった費用の何割かが自己負担になる。
低収入ながら一生懸命働いている患者さんが、自己負担額の支払いに苦労している一方、無職で公的扶助を受けている患者さんは、お金の心配なく受診している。
セーフティーネットとしての各種援助は大事だとおもう。だけど、それに甘んじて、サービスを受けるばかりの生活に長年どっぷり使っているように見えなくもない患者さんにも出会う。複雑な気持ちになる。
2009年1月15日木曜日
YMCA入会
というわけで、運動する場を求めて、地元のYMCAに入会した。入会金50ドル。月会費38ドル。きょうはとりあえず「こぐ」機械を使ってみた。(自転車とはまた違うもの。本当の名前はなんていうか知らない。) 最初勝手が分からなくて、反対向きにこいでしまっていた。(前に進む方向ではなく、後ずさりするような足の動きをしていた。恥ずかしい。)自分の運動のために電力を使うのは、罪悪感がある。あと、みんなで同じ方向を見て、もくもくと運動するのも変なかんじ。エモリーのジムもいつもにぎわってたけど、器械モノにはわたしは寄りついたことがなかった。
ヨガ、ピラテスなどのクラスも参加できる。こっちのほうが楽しいかも。エモリーでよく通ったズンバダンスのクラスもある。
あんまり寒いので、このあたりの学校は、明日は休みになるそうだ。大雪じゃなくて、寒さのために臨時休校。
MS-DOS との戦い?
患者さんの情報を管理しているプログラムが、わたしには全く経験のない MS-DOS とかいうシステムで、入力するのが至極めんどう。マウスを一切使わずに、「Enter」キーを多用する。新しいシステムが近々導入されるらしいが、とりあえず今はこのMS-DOS を覚えないといけない。二度手間だけど、しょうがない。
2009年1月14日水曜日
-21℃にむけて
写真: この前の雪の日の写真。
今朝の最低気温は、摂氏でいうと-17℃だった。最高気温は-11℃だった。寒いので、真っ昼間でも道路の雪がとけきらない。
午前中一瞬日差しが出た。むちゃくちゃうれしかった。日が出るだけで、顔が勝手ににこにこしていた。
寒さがきついせいか、予約をキャンセルしたり、無断キャンセル(?連絡なし)する患者さんが結構あり、いつもより落ち着いた1日だった。
木曜から金曜にかけての最低気温は、-21℃と予測されている。なんでも、寒波が来ているらしい。寒いだけならまだしも、もしまた雪がどばっと降っては困るので、道路のコンディションは悪いけど、勇気を出して夕方買い物に行った。
昨夜雪下ろしをしていたおかげで、今日はいくらか楽だった。でも、凍りついたワイパーを動く状態にもっていくのに苦労した。
これまでGiant Eagle と Walmart に1回ずつ行ったので、きょうは Shop 'n Save とかいう別のスーパーにしてみた。ジョージアの turnip green やcollard green が売っていたけど、残念ながらしなしなだった。わたしが今買いたいのは、新鮮な葉っぱものの野菜、ごぼう、かぼちゃ、だいこん、、、週末天気が悪くなかったら、ピッツバーグまででも買出しに行っちゃう。納豆、油揚げ、味噌あたりも買っておきたい。あとお米も。
気のせいかもしれないが、こっちのスーパーには、パスタとかトマト缶とか、イタリアンの食材が多く売っている感じがする。イタリア系アメリカ人が多い地域だからか。
2009年1月13日火曜日
インターネット開通
ケーブル会社のおっちゃんは、TVとインターネットのモデムの線をそれぞれつないだところで、「あなたの契約はセルフインストールということになってるから、ここから先は自分でやってねー。」と言ってさっさと帰ってしまった。セルフインストールというわりに、なんの紙切れ一枚の手順もない。(というか、契約のときに、セルフインストールについても、ほかの方法についても説明してもらってないぞ!)
フリーダイヤルでケーブル会社に電話しろということだったので、電話した。そしたら、こっちの番号にかけ直しなさい、と別の番号を言われたので、またそっちに電話。いつものことながら、いわゆる「カスタマーサービス」でいい思いをしたことがない。アメリカの会社は、日本のサービスをぜひ学んでほしい。
そんなこんなで、ひと悶着あったが、めでたくインターネットが使えるようになった。さっそく とまとまん(夫です。本人の希望により、ブログ上はこの名前。)とスカイプで話をした。やっぱり顔を見て話をできるのはよい。(実際会うのにはかなわないけど。)
さて、
外はあいかわらず、雪が降ったりやんだり。
この1週間車に乗っていなかった。雪がこんもり積もって「かまくら」状態になっている車がかわいそうになり、雪下ろしをした。屋根の上には25cmくらい積もっていて、前後の窓にも雪&氷が厚さ15cmくらいで張り付いていて、なっかなかワインレッドの色が見えてこなかった。半分むきになって、30分以上かけて雪を下ろした。でも、また今晩も雪なので、雪下ろしの意味はあんまりないかも。トランクがまた凍りついてしまう。。
エンジンはかかりにくくなっていたけど、何度目かのトライアルで無事かかった。
車5-6台停まればいっぱいになる駐車場なのだが、ここ1,2日はわたしの車の周りだけ雪かきがされていない (わたしが雪下ろしをしないものだから、どうせこいつは車に乗らないだろう、と思われて、雪かき担当の人がさぼっていたに違いない。)状態だったので、わざと駐車場のなかで車を何回か走らせて、いかにも「車使ってますよ~~」という雰囲気を匂わせるようにタイヤのあとを残した。効果があるかどうか。。
明日仕事から帰って、道路の状態がまずまずだったら、食料をたくさん買いに行こう。また大雪が降ったら、出かけたくても出かけられなくなってしまう。
2009年1月12日月曜日
ロックアウト
近くに住むメリーさんというおばあさんの家の電話を借りて、電話帳に載っている、大家さんらしき人の家に電話するが、違うと言われる。途方にくれながら、だめもとで911 に電話。そうしたら、そこから大家さんに電話を入れてもらうことができ、10数分後には大家さんが来てくれて、助かった。昼間でよかった。これからは気をつけよう。
本当は、1週間ぶりにH家に顔を出したかったのだけど、この雪の中で行く自信はないので止めた。かわりに、近くの聖公会の教会に行った。ステンドグラスと木目がとても美しい礼拝堂。言葉こそ違うが、礼拝の雰囲気は日本の聖公会とよく似ていた。おなじグループだからある意味あたりまえだけど。
週報のなかに、病気療養中の人と並んで、アメリカ軍に行っている人の名前のリストがあったのがとても印象的だった。産業が乏しいなか、アメリカ軍に入るのは、珍しいことではないのかもしれないとおもった。
続・徹底掃除
写真:きれいに整った台所。炊飯器はNさん、トースターと電子レンジはRさん、Britaの浄水器(電子レンジの左)はMさんにもらったもの。みんなアトランタの友達。
5日月曜日に、カーペットクリーニングをする人が、薄汚れたカーペットをきれいにしていってくれた。それはよかったのだけど、その後ちょっと困った。悪天候が続くせいか、カーペットが完全に乾くまでに木曜日くらいまでかかってしまった。暖房はセントラルヒーティングなので、もちろんつけっぱなし。天井のファンも回しっぱなしだったんだけど。湿っぽい床にエアベッドや毛布を敷く気になれず、その晩は台所(床タイル)に寝具を持ってきて寝た。室温はあったかいのに、床はやっぱり寒くて、よく眠れず。これは失敗。次の日以降は、カーペットの部屋に移動。
べたべたのオーブンとガスレンジは、大家さん来て掃除してくれた。ほっ。
部屋の壁は、最近塗り替えらえれたばかり。料理の油が飛び散っては困るので、スーパーで油よけガードを探したけど、見当たらず。そのあと先日Walmartに行ったときも探したけど、なし。日本なら100円ショップにも売っているんだけどなぁ。その代わりこっちには、アルミで出来た、使い捨てのオーブン用容器はものすごくたくさんの種類が売られている。
で、アルミホイルを壁に自分で貼った。このアルミホイルは、エモリーの寮のルームメイトからもらったものだ。タダで用がすんでしまった。
金曜日、仕事から帰ってきて、トイレのブラインドの掃除に取り掛かった。ホコリが積もりに積もって、茶色くなっていた。きれいになってすっきり。でもこれで疲れちゃって、リビングルームのブラインド3つはまだ残っている。
ブーツ購入
写真1:今日買ったブーツ
写真2:すっかり雪をかぶった、わたしの車。
金曜日からの雪は、土曜朝までに、少なく見積もっても20cmは積もった。そして、昼間も断続的に降った。
これだけ積もってしまうと、近くの道路も、白いまま(雪が解けてない)である。車道はまだ雪のかさが減っているけど、歩道のほうは、あんまり歩く人もいないから、ずぼずぼ雪の中を歩くほかない。
土曜日だからよかったけど、こんな日が続いては通勤に差し支えるので、ブーツを買いに行った。
こんもりと雪の積もった車の雪下ろしをして、いかにも滑りそうな道路を運転して買い物に行くような勇気は、わたしにはまだない。歩いてでも行けるところにある、リサイクルショップへ向かった。ここで、めでたく$3.99 で中古のブーツが買えた。結構いい品である。ただヒールがあるので、ヒールの靴をめったにはかないわたしにとっては、まだ慣れない感じ。
店からの帰り道に、図書館に寄ったが、この天気のために、まもなく閉まってしまった。たまっているメールの整理できず。
ノイズ・コンサート
立派なホール。さすが著名なオーケストラだけあって、すばらしい演奏。
なのに、観客のひそひそ声が断続的に聞こえてきて、泣けた。わたしゃこのノイズを聞きに来たんじゃない! エモリーのエマーソンホールを思い出し、また涙。(あそこはホールといい、コンサートの内容といい、むちゃよかった。ホームシックですね。)
音楽を聞きたいわけなので、耳をふさぐわけにもいかない。「だまれーーーー!」と叫びたかったがこらえた。
あと、1楽章ごとに盛大な拍手が続くのも疲れた。あまりにすばらしくて、思わず「うっかり」拍手しちゃった、というレベルではなく、盛大な拍手。
リフレッシュするために行ったコンサートだったが、行ってよかったような、余計疲れたような、複雑な気分。
1時間かけてピッツバーグまで行けば、コンサートの様子も随分違っただろう。
初・妊婦健診の日
患者さんの印象を書く。
1.多産
3人目、4人目が続くので驚いていたら、5人目、6人目、そして7人目の出産を迎えようとしている患者さんも。
2.若年
15歳、16歳の患者さんが、ぜんぜんマイノリティーでない。18歳の患者さんのカルテを見て、一瞬ほっとした気分になったのも束の間ーーすでに経産婦さん。
3.タバコ臭
1箱以上吸っていたタバコを、頑張って減らしていっている患者さんが多い。けど、部屋に入った途端に、ものすごく鼻につくタバコのにおいがする。ティーナによると、ドラッグを使っている患者さんにもちょこちょこ会うと。
4.貧困
medical assistance (医療扶助)、WIC (Women, Infant and Children という栄養サポートのサービス。乳製品やシリアルなどの食品の援助。)を受けている患者さんが多い。無保険だった場合でも、妊娠中は政府の保険に入れる。
5.肥満
BMIが30台、40台、そして50台から始まる妊婦生活、少なからず。BMIが20台の人がいないわけではない。
6.今まであまり診察室で見たことのない服装
くたびれたスウェットパンツに、穴の開いたTシャツというかんじの格好の患者さんが数人。ファッションであえてそうしているというわけでもなさそうだ。服装に無頓着になっている感じ。
かつて、このあたりは各種工場があって、今よりも人口が多かった。今は産業が乏しく、働き口が不足しているという。今日出会った患者さんの背景には、高い失業率、高校中退率、タバコやドラッグのアビュース、それにともなう複雑な家族環境、DV、いろいろありそうだ。
エモリーのK先生がいつも言っていた言葉を思い出す。
"Every patient is doing her (his) best in her given situation." (患者さんは皆、自分が与えられた環境の中でできるベストをやっているのよ。)K先生はいつもこの言葉を呪文のように唱えて患者さんの前に座るという。わたしもそれに習おう。
Dr S はとても気楽なように見えて、患者さんにベストフィットする話ができる方だ。堅苦しくなく、専門用語を使わずに、GBS(B群溶連菌感染症)の予防のための抗生剤投与のこととか、鎮痛剤の選択肢の話をさらり、とする。技を盗んでいきたい。
2009年1月8日木曜日
メディカル・アシスタントの仕事
サリーはわたしと歳はひとつしか違わないが、すでにこのクリニックで働くこと9年余り。ベテランである。(ちなみに、ナースプラクティショナーのティーナは26、27年、 そしてオフィスマネジャーのキャリー、マタニティケアスペシャリストのジュリーも20年前後、同じクリニックで働いている。おそるべし。)
サリーは主に、受付業務を担当していて、クリニックに到着した患者さんに各種同意書・問診表などの記入用紙を渡したり、予約を希望する患者さんからの電話への対応、他の医療機関や検査機関へのFaxの送受信、新しいカルテの作成、明日来院予定の患者さんのカルテの準備、などなど、てきぱきとこなす。患者さんの入っている健康保険によって、検査機関や記入用紙ひとつとっても、とてもフクザツなのだが、そのへん彼女の手にかかったら、朝飯前である。
すごいのは、事務作業に留まらず、患者さんからの質問にも一定範囲で答えていること。サリーは、自分が答えられる質問(答えてよい質問)と、ナースプラクティショナーに確認すべき質問を的確に見極めていた。
卒業したあと、メディカルアシスタントがいないクリニックで4ヶ月ボランティアをしたので、メディカルアシスタントの働きのありがたみというか、活躍度はひしひし感じていた。けどそれにもまして、サリーの場合は、基礎教育(サリーの場合は1年コースだったそうだ)の上に、長年の知識と経験を積み重ねて、すごく活躍しているようにおもう。
サリーは整えたカルテをリズに渡す。体重・血圧などをはかって、患者さんを診察室に案内するのはリズの役目。必要に応じて、尿検査も。それから診察後の部屋を整えたり、使用済みの膣鏡を洗ってオートクレーブ(滅菌する機械)をセットしたり、検査の検体を袋や箱に詰めて送ったりもする。リズは昨年8月に就職したばかりなので、いろんな能力のためされる受付業務はまだ少ししかやっていないそうだ。
ナースプラクティショナーの診察後、処方箋を渡したり、ナースプラクティショナーが今日したこと(診断・治療・教育etc )を再確認したり、会計に関する事項を確認したりするのは、ジュリーの役目。きょうはここまでは見られなかった。またこんど。
2009年1月7日水曜日
灰色の空、雪
患者さんが来院してから帰られるまでの全体の流れを理解したいので、明日はメディカルアシスタントのサリーたちの後ろについてみるつもりだ。
アトランタよりも、ここは夜明けが早い。でもその分日が暮れるのが早い。4時すぎにクリニックを出るとき、もう暗くなり始めている。きょうは朝から雪だった。なので、1日中灰色の空だった。
夕方、インターネットの契約をしに行った。インターネットだけの契約よりも、ケーブルテレビとのセットの方がなぜか安いので、そういう契約にした。ケーブルテレビといっても、この場合は、いちばんベーシックなタイプなので、そんなにチャンネル数は多くない。
一回家に帰ってきてから、車の窓にお湯をかけて雪をはらいのけ、Walmart にむかった。今のうちに、雪をはらうブラシ&スクレーパーを買っておかなければ、と。郵便受け(アパートについていないので)は向かいの店で買った。
雪だと、せっかく車の後ろの窓に張っている New Driver という張り紙が、むちゃ見えにくくなってしまう。なので、のろのろ運転でも、後ろの人にはこの張り紙が見えていないだろう。ざんねん。
2009年1月6日火曜日
2009年1月5日月曜日
初出勤
ひと通りの部屋を案内してもらう。
プロトコルをしばらく眺める。厚さ8cmはある。とうぜん読み終わらない。まあこれからゆっくり。
今日の診察は11時から7時。
11時からナースプラクティショナーのティーナについて過ごす。
休憩時間にティーナは近くの買い物に便利なエリアを車で案内してくれた。ありがたい。
5時、ほかのスタッフより一足早く、わたしだけ終わり。
近くのYMCAで入会案内を手に入れてから帰宅。
アパートにはまだインターネットを引いていないので、図書館にやってきてこれを書いている。早く落ち着いて家でブログが書けるようになりたい。
図書館閉まるので、きょうはこれでおしまい。
アパート入居
Giant Eagle (スーパー)で食料を調達。ぜんぜん安くない。おおむね物価はアトランタよりこっちのほうが高く感じる。寒いので、サラダという気分ではない。白菜やインゲンを買ったが、いまいち元気がない。Farmers Market に行きたい。DeKalb の。
夕飯を作って食べた後、また掃除。
H家に借りたエアベッドをふくらまし、就寝。
2009年1月3日土曜日
徹底そうじ
朝、ひとりでH家から引越し先の某市まで向かいました。高速道路の入り口まで20分、高速道路の出口まで20分、そしてそこからアパートまでさらに20分。
約束の時間の時間の10分前についたので、近所を一周したけれど、あまりに寒いので車に戻ったところで、大家さんが鍵を持ってきてくれました。
荷物の運び込みはたいしたことないのですが、そのあとの掃除がむちゃくちゃ大変でした。改装こそ終わっていたものの、冷蔵庫やガスレンジなどは、前の人が汚していったまんまで、しかもその汚し方が半端ではなかったからです。冷蔵庫からは、トマトのヘタや、マッシュルームのかけら(すでにカラカラ)も出てきました。
ガスレンジは半分くらいきれいにしましたがまだねちょねちょしています。オーブンにいたっては、あまりに真っ黒なので、まだ手をつけていません。大家さんに抗議します。
ほんとうは、地元の thrift store 2件を回りたかったのですが、きょうは掃除だけで終わってしまいました。まだ箱やスーツケースから出していない荷物もいっぱいです。
夕方、再びH家へ。朝とおなじ道なのですが、暗くなるとアップダウンとカーブばかりの一般道はとても疲れました。
カレーライスを作りました。大好評でした。H家に泊まるのは、今日でさいご。明日からは自分のアパートで寝ます。今日持っていけなかったH家からの借り物を明日持っていきます。
2009年1月2日金曜日
地元の銀行口座つくる
アトランタで使っていた Sun Trust Bank の支店やATMはこのあたりにはありません。(あーかなし。)止むなく、地元の銀行の口座をつくることにしました。
今度わたしが働くクリニックを運営している組織が、この銀行のお客であるためか、checking account, savings account どちらも結構いい条件で作ることができました。
それから、Goodwill (日本でいうリサイクルショップのようなところ) に行って、50セントのマグカップ2個(クリスマス柄なので、50%引き)と食器の水切りかごを3ドルで買いました。
窓ガラスの雪をのけるスクレーパー、ドアに取り付けるポスト、缶切りなども探したのですが、あいにく見当たりませんでした。ま、何件かこういう店を回ったら、そのうち見つかるでしょう。見つからなければ、ホームセンターで探します。
本当はガレージセージやヤードセールもみたいところですが、寒すぎるので、たぶん春以降じゃないと、やるひとはいないでしょう。ざんねん。
夜はH家のみなさんと、Applebees というファミレスに行きました。金曜の夜とあって、とても混んでいました。移動が続いているせいか、ここんところとても疲れを感じるので、ご飯だけはちゃんと食べなきゃ、と思い、残さずぜんぶ食べました。
2009年1月1日木曜日
新年おめでとうございます
H家のみなさんとシャンペン(ノンアルコール)で2009年のはじまりを祝いました。
ペンシルバニア州も、これまで住んでいたジョージア州も、アメリカ東部時間に属しています。日本との時差は、14時間。太平洋側のたとえばカリフォルニア州とは3時間の時差があります。眠くなったので、アメリカ東部時間の新年を祝った後は、さっさと寝てしまいました。(その割に、きょうは起きたのが遅かった。。)テレビではそれぞれのタイムゾーンの新年を順々に追っていっていたでしょう。
食っちゃ寝だけではまずいので、昼前に散歩しました。晴れてはいるけど、きりりと冷たい空気でした。完全防寒をして早足で歩いていたら、結構あったかくなって、いい汗をかきました。
H家では豚肉とザワークラフトを元旦に食べるのが伝統らしく、朝からスロークッカー(電気鍋)で煮込んだお肉を 晩ご飯に食べました。あんまりおいしいので、お代わりしました。そのあと、H家の高校生のこどもたちと遊びました。お正月を一緒にすごす家族に恵まれて、感謝です。
空いた時間に、以前エモリーのdean に借りて、まだ返していなかった Life Prints という本を読んでいます。生き方、選択についてのいいヒントをくれる本です。1983年に書かれた本とはおもえません。
2009年もいい年にしたいです。