2009年12月30日水曜日

抜糸終了

仕事のあと、Dr. C のオフィスに行き、抜糸してもらった。Dr. C は移植した創部を見て、"Beautiful!"を連発していたが、わたしの目からするとまだそんなに美しいもんではない。

抜糸後は口がさらに楽に開くようになり、ひさびさにデンタルフロスが使えたのは進歩。あと、「ニッ」と笑顔を作っても傷が引きつらなくなった。

3週間後の再診時まで、創部以外の部分のハミガキとグルコン酸クロルヘキシジンでのぶくぶくうがい(1日2回)を続ける。移植片の壊死とか、切り取ったところからの大出血とか、そういう大惨事が起こる時期は過ぎてくれたと思うので、ほっとしている。

2009年12月29日火曜日

術後6日目

一時は私の体はほとんどJelloと化していた。徐々に普通食に近いものが食べられるようになってきている。すべて右側で噛む。

今日はひさびさの仕事だったが、一日無事終えられた。この休みの間にNYの家族に会いに行けなかったのは残念だったけど、静養という意味ではとてもいいときに手術をしたと思う。病欠は1日しかとっていないにもかかわらず、クリスマスや土日があったので、今日まで働かなくてすんだのだから。

移植したところは、まだ見た目はかなり悪い。明日抜糸がすめば違和感はかなり楽になるとおもう。一方、組織を切り取ったところ(口蓋)はまだまだ非常に脆弱で、今はこっちのほうが痛い。

日本から持ってきていたロキソニンを使い果たし(あんまり効いてないとおもっていたけど飲むのを止めたら痛みが断然増した。)仕事の帰りにナプロキセンを買ってきた。一日中ジンジン痛んでいたので、2錠飲んだ。あとは12時間ごとでよい。(自分は行儀よく8時間ごとに薬を飲むなんて出来ないということが判明してしまったので、わざわざナプロキセンにした。)

2009年12月24日木曜日

術後1日目

手術の翌日は休養が大切なので、仕事を休むように前から言われていた。というわけで、今日は予定通り病欠。(ボスも前からそのつもりで予約を取らないでおいてくれていたから、問題なし。)

朝はかなりみじめだった。NYの北の果てにすむホストファミリーに会いに行くことをたくらんでいたが、まったくもって無理。明日運転するのもたぶんしんどい。よって今回は泣く泣くあきらめた。NY母さんは、「ウェブカメラ用意したから、みんなで後でスカイプで話せるから大丈夫。」と言ってくれたけど、あー残念。

術後24時間は冷たい飲み物・ゼリーの類しか摂ってはいけないといわれた。Breakfast Essentials (牛乳に混ぜて飲む粉)が何袋か家にあったけど、朝・昼・晩 これだけでは飽きてしまうので、スーパーに買い物に。アイスクリーム、ゼリーのもと、プディングのもと、コーンスープの缶詰などを買ってみた。明日クリスマスは店が閉まるので、食糧確保は重要。

それにしても、15分クーリング、15分クーリングなし、を延々続けるのは大変。もしNYまで運転していたら、クーリングはかなりさぼってしまったと思う。冷凍グリーンピースを袋ごと下顎にあてがうのが楽。顔にフィットしやすくてよい。

2009年12月23日水曜日

組織の自己移植

今日仕事の後、歯周治療専門の Dr C のもとで、自己移植をうけた。口蓋の組織を一部切り取って、下顎の前歯の根元に移植する手術。手術と言っても、局所麻酔薬下なので、ちゃんと自分で車を運転して帰れた。

麻酔下でのクリーニングを受けたときは、左右一方ずつ別の日にやったが、今回は左右両方に麻酔をがっちしかけていたので、まだしゃべれない。(少しはしゃべれるけど、しゃべってはいけないことになっている。)

処置後24時間の間、15分氷を顎にあて次の15分は何もあてない、を起きている間はずっと続けるように言われた。手で押さえるのは面倒なので、冷凍グリンピースの袋をフェイスタオルとマフラーで固定して、微妙な顔の角度で冷却をon/off できるようにしてみた。人様にお見せする格好ではない。

今日は麻酔が切れ次第、冷たい飲み物を飲んでよい。明日はゼリーなど噛まないで済む食べ物だったら食べていい。固形物が食べれるのは、その翌日から。食いしん坊の私にはつらいねぇ。

2009年12月20日日曜日

雪降ろし

ニューヨークやワシントンDCほどではないが、昨日は雪が10cm弱くらい降った。夕方車の雪降ろしをした。けっこうな運動。

今朝は日が差して、雪はやんでいる。しかーし、雪がやむと引き換えに気温はぐっと下がった。今15F (マイナス9℃)。

水曜日、ピッツバーグ勤務のあと歯医者に直行するために車で出勤する必要があるのだが、それまでに雪が落ち着いているといい。。。

2009年12月17日木曜日

朝日記事つづく

16日を皮切りに、17,18日も朝日新聞でNP/PAの記事が載っている。
asahi.comには反映されてないので残念。
日本にいる方、ぜひ新聞を手にとってご覧あれ。
なお、関西圏に掲載されるのは後日のもよう。

2009年12月16日水曜日

白衣を注文

会社が支給してくれる白衣はナイロン製なので、腕を動かすたびにカシャカシャ音がしてあまり心地よくない。で、自分で持っている白衣を着ることが多い。それらがけっこう傷んできたので、インターネットで新しいのを3着注文した。予想外に3日で届いた。サイズを XSサイズにするか Sサイズにすべきかでさんざん悩んだあげく、全部 XSで頼んでおいた。実際着てみると、これがほんまに XSかい?と思わせるゆったり感がある。幸いぶかぶかというほどではない。日本の病院では MやLサイズのユニフォームを着ていたんだがなぁ。まるで自分がちっちゃくなってしまったようだ。

デザインはユニセックスではなくて、女性用のにしておいたので、腰周りが少ししぼってあったり、襟やポケットに刺繍が入っていたりで、なかなかよろしい。3着とも丈が短めのを選んだ。49ドル分以上注文すると送料が無料になるというので、3着で49ドルをちょっぴり超えるように考えて買った(計51ドル)。ただいまセールで全商品20%引き。

会社のドレスコードは、オフィスカジュアルが基本。NPの服装に関しての特別な決まりはない。白衣を着る代わりにスクラブ(Vネックのシャツとズボン)の人もいれば、スーツが好きでスーツを着る人もいる。オフィスカジュアルのラインで整えて、白衣を着ない人もいる。私は大きなポケットが欠かせないので、白衣は必需品。白衣の下には、明るくて割りとはっきりした色のブラウスやタートルネックシャツなどを着る。下はズボン。

ネームタグをいちいちつけなくて済むように、白衣の胸に名前を入れようかと思ったが、サイズが合うか不安だったので今回は止めておいた。

朝日新聞12月16日記事『米国医療を歩く』

16日朝日新聞に、『米国医療を歩く (上)』としてNPやPAのことが紹介されています。必見!

2009年12月15日火曜日

BMI 66

診察室に入る前に、壁に立てかけてあるカルテをさっと見る。BMI 66って、何かの間違いでは? と小さい目を見開いてみたが、間違いでない。一呼吸してドアをノック。

"How are you, OOさん" とさわやかに部屋に入ったが、患者さんは開口一番に「私この手の診察は大っきらいなんです。」と宣言。「何年も婦人科の診察を避けてきたけど、妹がこの前 小芋さんの診察を受けて、『あの人よかったから姉ちゃん絶対行ってきなよ』ってしつこく言うもんだから来たんです。」と。意を決してきてくださった患者さんをがっかりさせたくない、がんばらな、と思った。

患者さんの強い恐怖感&苦痛感を和らげるべく、時間をかけて、姿勢や角度も気をつけて診察をすすめていったが、どうしても子宮頚部の端をちらりと確認するのがやっと。盲目的なパップスメアは極力避けたいが、どうしてもそうなってしまった。最近は結構患者さんとの会話を続けながらパップスメアを出来るようになってきていたが、今回は患者さんの呼吸を誘導することで精一杯。

患者さんも私もベストを尽くした。でもどうしても限界があった。太っているからしょうがない、で片付けたくないのだが。

パップスメアの結果が、"Unsatisfactory for evaluation" (診断に不適)で返ってきてしまうかもしれない。そのとき、患者さんに再検査の催促をするのは気が重いだろう。

2009年12月11日金曜日

サーバリックス、12月22日発売 in 日本

いよいよ子宮頸がんワクチン「サーバリックス」が22日に発売されると決まったそうだ。
http://www.yakuji.co.jp/entry17512.html
魚沼市が、子宮頚がんワクチンの助成を検討していると。画期的。http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/news/20091211-OYT8T00115.htm

2009年12月10日木曜日

急な通知

9月にピッツバーグのオフィスに転勤の希望を出して、すぐOKと言われたものの、正式な異動の日がぜんぜん決まらないで今まで来た。真冬の引越しだけは避けたいと思っていたが、すでに冬に突入してしまった。今日なんて、氷点下から始まって、今(夜9時過ぎ)の気温はマイナス11℃だ。風が強すぎて、雪が道の端に掃き清められたような状態のまま、ぜんぜん解けない。

異動の日がたとえまだ先になるとしても、せめて「いつごろ」という見込みだけでも知らせてくれ、と再三お願いしてきたが、なかなか埒があかなかった。そしたら今日突然、1月4日付けでピッツバーグオフィスに正式に異動とする、という知らせがきた。が、実際のところは、1月にピッツバーグで働くのは計7日間だけで、残り12日は今のオフィスなので、今月の勤務状態とたいして変わらない。(今月はピッツバーグに計6日出張) ちょっとだまされたような気分。

うちのオフィスマネジャーは、「小芋の代わりに新しく来てくれるNPが採用できるまでは、あんたはピッツバーグにやれん。」とずっと今まで言い張っていたが、結局まだ新採用のNPのあてがないままに、私の異動のほうが先に決まった。けど、上記のように、実際は両方のオフィスの勤務なので、この先2月の予定がどうなるんだか。引越しするにしてもしないにしても、長距離運転は避けられそうにない。

異動時期が正式に決まってから、ピッツバーグへの引越しを、と思っていたが、「正式」に決まっても今のオフィスでの勤務日のほうが多いなんて(少なくとも1月中は)、正直困惑。引越し先をすぐ探すべきかどうか迷う。まあでも、今のアパートの大家さんには、引っ越す1ヶ月前にはお知らせしないといけないので、ぼちぼち本腰を入れて探し始めないといけないのは確か。

H家に借りている机や椅子、自分で買ったベッドがあるので、それらをどう運ぶかも考えないといかん。アトランタからの引越しは、ほとんど全部車に積み込んで、本だけ2箱郵送(1箱紛失された。今でも悔しい。)しただけだったが、今回はそうもいかない。バンを借りて運転? それとも引越し業者かな? そこまでの荷物じゃないけど大物はひとりじゃ運べんし。

なんだか今日の日記は全体的に愚痴っぽくなってしまったけど、異動が本当に決まったのはうれしいことだから、感謝。

2009年12月9日水曜日

診察よりクリスマス?

最近いつもよりも診察のドタキャンや無断欠席(断りなく現れない)をする患者さんが多い。おかげで、気持ちに余裕を持って診察できるので、私はうれしー。検査結果のフォローアップもじゃんじゃんできるのでよい。こういうのは、ためずにちょこちょこすれば負担に感じない。忙しい日が続くときは、カルテがどっさり山積みになって、見るだけでもげっそりしてしまう。

患者さんは診察に来ることよりも、クリスマスに向けての準備(買い物とか?)に忙しいのだろうか。真相はわからないが、私にとってはありがたい傾向だ。

写真は、先週ピッツバーグに行ったときに撮ったもの。クリスマスツリーの周りがアイススケートリンクになっている。朝早かったので、リンクは開放されていなかった。

2009年12月7日月曜日

初雪

今日は雪だった。私にとってはこの冬初めてみる雪。(私が週末アトランタに行っていた間に、こっちでは雪が降っていたかもしれない。)ぜんぜん積もらなかったけど、昼間はずっと降っていた。今朝は 22F(マイナス6℃)。そして、最高気温は31F だった。つまり、一日中氷点下だったということ。あちゃー。

昼休み、オフィスそばのさびれきったショッピングモール(空き店舗のほうが多い)を20分ほど歩いた。狭いモールなので、8周もぐるぐる回ると、さすがに飽きた。それでも、運動できたので、体調はよくなった。寒い外を歩くのと、モールの中を歩くのと、どっちが楽しいかはよくわからない。

アトランタに里帰り

Emory University Chorus と Concert Choir による、 Festival of Nine Lessons and Carols というコンサートにあわせて、金曜の夜から日曜の夕方にかけてアトランタに里帰りした。去年は自分も University Chorus の一員として歌っていた。あれから1年たったのかと思うと感慨深い。私にとって、去年のこのコンサートは、エモリーからの精神的な卒業式だった。
http://blogs.yahoo.co.jp/koimokko/27382373.html
http://blogs.yahoo.co.jp/koimokko/27396614.html
友達のY美さんと、土曜日5時からの回に行くか、それとも8時の回に行くかについて、さんざん話し合った後、ついに決めかねた私たちは、両方の回に行った。(間にちゃんと腹ごしらえ) 去年私たちがやった曲も何曲かあったが、今年新たに加わった曲が多く、またそれらがバラエティーに富んでいた。どれもこれも素晴らしかった。9月からの練習でここまでの完成に持っていったDr Nelson と団員たちに拍手! 私など、最初の1曲目からすでに涙。5時の回は1階で、8時の階は2階席で聞いた。響きは2階席がさらによかった。

WHNPプログラムの友達、先生、アトランタ医療従事者の会の友達らとも今回は会えた。1年たって、お互いに報告事項がたまっているので、時間がぜんぜん足りなかった。たった2泊だったので会えなかった人も多い。また行かねばならない。

今回もY美さんのところに泊めてもらった。こちらは金曜日の晩ごはん。おいしかった~~。

2009年12月2日水曜日

日本滞在の報告

PAに戻ってきて、早くも2週間半がすぎた。
遅ればせながら、先日の日本滞在の報告を。

overview:
1. 「小芋を囲む会」東京にて
2. 産婦人科医・助産師らの学会で米国のWHNP の役割について講演
3. 母性看護学概論を取っている、大学2年生のクラスで講義
4. ビザのための面接 --- うまくいった。(最後は案外あっけなかった。)
5. 東西の家族めぐり---もっとゆっくりしたかった。。。

ではもう少し詳しく。

1, 「小芋を囲む会」
最初は6人とうかがっていたのが、なんと20人くらいの方が来てくださった。みなさん日本でNP/PA制度の導入やチーム医療の促進に力を注いでいる方々。NPプログラムを立ち上げた大学の先生、NP/PA制度を応援している医師、シンクタンクの方、メディアの方など普段なかなかお目にかかれない方との出会いはとても刺激的だった。

学会用のパワーポイントをぐっと短く作り直したものを、会場の居酒屋さんの壁に映しながらしゃべった。NPならではの役割やよさを 一番に出して話をしたほうがいい、とコメントいただいた。(その後この点を考慮して、スライドを結構変えた。WHNPならではの役割・活動・メリットが十分表現できるようにと。)

みなさん、NP一年生(そろそろ2年生か)の話を熱心に聴いてくれた。後述の学会との大きな違いは、参加者の関心が、「さてこれからの日本の医療を自分たちはどうして行きたいか、行くべきか」にあることのように思った。これだけの人が、NPについて超まじめに熱心に考えて、かつ動いてくださるのを知って、とても心強い思いだった。

2. 学会
聴衆は主に産婦人科医、助産師、看護師、医学科と看護学科の学生ーー230人くらい。

反応ーー地方都市の土地柄から考えるに、反発や抵抗を受けるかと予想していたが、意外にも好意的。興味を持ってくれた人は多い印象ーーでもどちらかというと「遠い世界のこと」としてみている感じ。懇親会では、看護学生や医学生とざっくばらんに話せたのがすごくよかった。

3. 大学
母性看護学概論を学んでいる2年生を前にした講義。先生から、WHNPのことだけでなく、留学にいたったきっかけや、人との出会い、今の学生へのメッセージなどを言ってほしい、というリクエストだった。実際行ってみると、学長・副学長はじめ、ほかの講座の先生や、関西のほかの大学の先生たちも来られていてびっくり。うわぉ。

学生さんからの質問は、「えーと、ご主人さんは一緒にアメリカにいるんですか?」のひとつだけで、とてもおとなしかった。(先生がたからは、すでにNP制度を知っている方らしい質問も。)ところが学生さんから頂いた感想文を読むと、いろいろなコメントや質問が書かれていて、とてもジンとした。よく考えている。「遠距離夫婦頑張ってください。」というエールには涙。。

単純にアメリカはすごい、進んでいる、というような感想もあって、これは反省点だ。。。日本の医療のほうが優れている部分もいっぱいあるのに。感想文をもらいっぱなしではいかん、と思い、お返事を書いた。先生に添付ファイルで送ったら、授業で配布してくださると言って下さった。

4.ビザ
書類の手続きとか、TOEFL (VisaScreenのため)とか、弁護士とのもどかしいやりとりとか、準備にはいろいろあったが、最後の手続きはスムーズすぎるくらいスムーズにいった。ほっ。

5.家族
すごく楽しかったけど、休みが短すぎた。就職1年目の私には使える有給休暇だけじゃ帰国には足りなくて、無給(いや減給)休暇を4日足して、計16日(土日を目いっぱい使って)の旅程だった。長いと思う? 水戸、東京、高松、徳島、大阪・神戸を2週間で回りきるのは 大変だと予想してたけど、実際やってもやっぱり結構大変なことで、どこに行っても後ろ髪を引かれる思いだった。けど、せっかく日本に帰って、家族に会わないのはとてももったいないので、どうしても欲張りにまわってしまう。けど、とまとまんはその間お留守番になるので、とまとまんと過ごす日が少なくなってしまい、これも切ないことであった。けど家族が日本東西に両方いるから、どうしても移動は避けられない~ 2週間でなせる最大限のことはした、と自分に言い聞かせるしかない。

とりあえず、駆け足でのご報告。