2019年12月5日木曜日

祖母の人生卒業

3週間前、祖母が90歳代で旅立った。子芋は体調不良で帰国がかなわず、祖父あてに電報を送った。電報といっても、KDDIのウェブサイトからオンラインで注文できる。さすがに電報とあって(?)、配達はすみやか。その日のうちに届いたようだ。

親戚には回し読みされるかな、とは思っていたが、告別式で音読されるとは予想していなかった。知らされたときにはもう後の祭り。電報にはプライバシーがないということをよく覚えておこう。

祖母は非常に心配症の人で、子芋のことを考えると夜も眠れないとか、悪夢で目が覚めた、とよく文句を言われた。高校時代に留学を希望したときは、祖父と母と3人グループで猛反対だった。それにもめげず、留学し、帰ってきたときには、なんだか周りの人に「留学してた孫です~」などと自慢げに言うので、なんだそりゃー、と思った。

「人生は永久就職が大事」(=結婚)が口癖で、子どもながらに「離婚して幸せな人、結婚歴なくて幸せなひともいるのに。」と反抗したが、今となっては、そのぐらい結婚を人にすすめたいくらい、祖母自身幸せに思っていたのだろう、と思うことにしている。

娘3人は成人後もみな市内に住み、孫もみな近くに配置しておきたいという希望があったようだが、子芋と子芋妹に関しては、あいにく願い叶わず。

と書いていると、子芋は祖母に対して、かなり反抗的な孫だったように見受けられるかもしれないが、それは当たり。子芋と祖母が意気投合できるのは歌だった。女学校時代、よく歌を歌ったとのことだった。老人ホームので過ごした晩年も、荒城の月などを隣で歌えば、一緒に乗ってきた。どこにその声が眠っていたの?と周りの人が驚いた。

Giving Tuesday (感謝祭のあとの最初の火曜日で、寄付行為が奨励されている)だったこの火曜日、In Memory of XXX XXXX(祖母の名前) というメッセージをそえて、Belle Voci of Pittsburgh  (子芋所属のコーラス)に寄付した。


2019年12月4日水曜日

ペシャワール会 中村哲医師の訃報

今朝訃報を聞き、非常にショック。
医師としての通常の範疇ををはるかに超えて、井戸を掘り、水路を作り、砂漠の地に農業を復活させ、人々に仕事も食料も取り戻した方だった。自分が最初どうやって中村医師のことを知ったのか、今どうしても思い出せない。ペシャワール会の会報で、かつて砂漠化した土地が、豊かな緑地に変化している様子を写した写真をみたが、これは特に圧巻だった。アメリカにいても会報を送ってくださるボランティアの方々に感謝。これからもこれまで通り、帰国の度に会費を納めよう。

2019年10月12日土曜日

ウェルネス考

雇い側がプロダクティヴィティーの圧をかけながらも、一方でウェルネスやワーク・ライフバランスの旗を振るとき、子芋はいつもLucy's candy factory の映像を思い出す。

https://www.youtube.com/watch?v=HnbNcQlzV-4

患者さんが予約時間からどんだけ遅刻しても、断らずに診るべし(すべてはできっこないが、優先度の高いことは少なくともするようにと)、勤務時間目いっぱい予約ぎっしり(つまり絶対に時間通りに終われるわけがない)、何とか診察を終わらしても、そのころにはメッセージが溜まっているので、少なくとも急ぎのがないかどうかざっと見ないといけない、で、カルテ書きが遅れる。書き終えて帰るか、帰ってから書くか。通勤に一時間かかる日には、さすがに帰宅を優先。ご飯食べてからカルテ仕上げるか、早く寝て次の日にするか。

「夕飯時までに仕事は終えましょう!」、という呼びかけがあった。夕飯が何時、とは言ってなかったが。

「ウェルネス、大事ですよー。ウェルネスに気遣っているわれわれ組織って、え・ら・い~~。みなさん、ちゃんとセルフケアしてね~」と言ったもんがち。ずるい。


2019年10月11日金曜日

ディズニーランドより楽しい エステート・セール

Estate sale エステート・セールをご存知? 人が亡くなったとき、あるいは、亡くなってはいないけれど老人ホームなりアパートなどに引っ越すにあたり、家の中のもの一切合切を売るセールのこと。

売りたくないものはすでに 「立ち入り禁止」と張り紙をした部屋に入れるなどして、すでに取り除かれているので、それ以外のものすべてが売り物となる。

普段からthrift store (日本で言えばリサイクルショップ的なチャリティーの店)で掘り出し物を見つけるのが大好きな とまとまんと私であるが、エステートセールではさらに興奮する。

家具や電化製品にはあらかじめ値札シールがたいてい張ってあり、小物もそれなりには値段が書いてあるものが多いが、使いかけの洗剤や、ばらばらのスプーンやフォークとなると、レジの人が適当にまとめて値段をつけたりする。やる気のない人にあたれば、値段のつけ方がさらにいい加減になって、ますますよろしい。

引き出しや戸棚に入っているモノは、取り出して並べてくれている場合が多いが、並べる場所がないほどに中に入っているものが多いと、お客自らが引き出しを開けたり閉めたりして、物色する場合も。

ガレージセールやムービングセールは、基本的に「不用品」が売られるけど、エステートセールは、それまで住人が使っていたほとんどすべてのものが売られるので、早い時間に行くほど、確実に何かいいものが見つかる。出遅れた場合は、当初の価格からさらに半額、なんてこともあるので、それはそれでお得。

先日は散歩途中、たまたま豪邸のエステート・セールを発見。

近頃 とまとまんはトースターを買い換えたいと言っていたんだが、台所でちょうどよいトースターを見つけ、早速小脇に抱える($5)。住人は料理が好きだったと見えて、ありとあらゆる調理道具があったが、子芋は麺棒($1)とチェコ製のレモン絞り ($1)を見つけてホクホク。ジグソーパズル・トランプなどのゲーム類(まとめて$5)、ダブルクリップ、ティーポット($2)、書類整理箱($2?)、などなど、占めて22ドル。レジで我々の後ろに並んでいたおばさんが、「あらあんたら、どこでそのトースター見つけたの? そのゲームはどこにあったの?」とやたらに突っ込んできた。ほとんどのものは1点ものだから、聞いても仕方ないと思ったけど。

とまとまんと私が家のすみずみまで見て回るのに、なんと1時間以上かかった。とまとまんは、もっとゆっくり見たら、半日はたっぷり楽しめると言った。我が家にとって、エステートセールはディズニーランドよりも格上のエンターテインメント。

他人の家の中をみるチャンスはなかなかないし(しかも引き出しや戸棚の中まで!)、世の中のごみは減らせるし、住人・もしくは遺族のお金の足しになるし、いいことだらけだ。

家に帰り、我が家での役目を終えたちっちゃなトースター(友達のおさがり。子芋がそれをさらに11年使った。)は thrift store に寄付した。


2019年10月3日木曜日

論文掲載後の反応

かれこれ4年前、前の職場でやった研究の論文を、この春ある専門雑誌に掲載してもらうことができた。職場が変わったり、父が病気の末に亡くなったり、またかつ共同研究者・指導者も公私ともにいろいろなことがあって、そもそも論文投稿に至るまでにものすごく時間がかかってしまった。そこからさらに、エディターとのやり取りにも予想以上に時間がかかった。とまれかくまれ、このような形の論文は子芋としては人生初だし、世の中に出せて何よりであった。

論文が掲載されて数か月の間に、カリフォルニアとメキシコの研究者から、研究に関する問い合わせがあった。カリフォルニアの研究者は、子芋たちと似通った研究をしていて、われわれの使った質問紙についてもっと詳しく教えてくれと言ってきた。メキシコの研究者も関連のある研究をしているとのことだった。

論文を出せていなかったら、彼らとのつながりはありえなかったわけで、論文に仕上げることの重要性を感じる。

その一方、ジャンクメールも来る。〇〇国際学会お招きします、とか書いてあって、でも本当にお金を払って招待してくれるわけではなく、要は宣伝。とても子芋を持ち上げるような文面なので、最初は返事するべきなのか?と思って一応共同研究者に相談したが、やはり子芋の感は当たっていた。


2019年10月1日火曜日

州外の施設での人工妊娠中絶

(昨日のつづき)
すでにペンシルバニア州の法律で人工妊娠中絶が許された週数(23週6日)を超えてしまった患者さんのカウンセリングにあたっては、中絶ケアに造詣の深い医師に何度も相談した。

その医師が某州のクリニックをよく知っており、そこに患者さんを紹介することができた。

ちなみに、費用は目玉が飛び出る額であった。が、クリニックのスタッフが各種ファンドをコーディネートしてくれたため、患者さんの自己負担は、かなり軽くなった。

3日がかりのクリニックでのケアを済ませて、患者さんは無事に帰宅した。

トランプ政権のもと、Domestic gag rule が始まった昨今、Title Xの助成金を受けている施設では、今まで通りpregnancy options (産んで育てる、産んで養子に出す、中絶する)のカウンセリングをするのは差し支えないけれど、中絶を希望する患者さんに、どこでそのケアが受けられるのかを伝えることは禁じられている。施設のリストの中に、中絶を行う施設を混ぜるのはいいようだが、その中で、これがそうです、と言ってはいけない。

妊娠初期の人工妊娠中絶ですら、ケアが提供できる施設はごく限られているというのに(州によっては、州全体で1か所という場合も)、まして、他州まで赴かないといけない場合に、患者さんが自ら限られた時間のなかで施設を探す、というのは極めて難しい。インターネット検索にもともと慣れた人でなければ、探せないだろう。(というか、それがそもそも政府の狙いなわけで。)

今後もし、先の患者さんと同じような患者さんとお会いした場合、法に触れずして、どのように患者さんにまっとうなカウンセリングができるのか、そしてカルテにどう書いたらいいのか、考えているところ。

2019年9月30日月曜日

月経異常? まずは妊娠反応検査を!

前回のつづき。(なんともう1か月以上空けてしまった。。)

women's health のバックグラウンドがある者は、トレーニングのなかで、何らかの月経異常があるときは、とまれかくまれまず妊娠反応検査、と叩き込まれる。たとえ患者さんがセックス未経験といってもなんでも、まずこの検査をする。レイプや性暴力などの場合、あまりの恐怖に記憶が飛ぶこともあるし、ドラッグ・アルコールの影響下場合も、セックスしたと覚えてないかもしれない。年齢がとても若かったり、知的障害があったりして、ことの重大性が分からないこともあるかもしれない。

しかし、小児科のバックグラウンドの医療者は、妊娠反応検査を忘れてしまうことがけっこうある。ある小学生の患者さんは、かかりつけ医が月経異常原因を探るためのいろいろな血液検査をしたうえで、私のところに紹介されてきた。その時にはなんと、妊娠中期であった。

お腹もぽっこり大きくなり、恥骨から子宮底までも25㎝あり。すぐ、妊娠週数を把握するために超音波検査をオーダーした。するとその時点で、すでにペンシルバニア州の法律で人工妊娠中絶が可能な週数(23週6日まで)を超えていた。

そこからさらに3週間の間、1)産んで育てる、2)産んで養子に出す、3)人工妊娠中絶をする、の3つの選択肢を熟慮した結果、患者さんは人工妊娠中絶を選んだ。

2019年8月30日金曜日

月経不順をいつまで様子見するか

初めて月経が来てから「しばらく」は月経不順がよくある。その「しばらく」はだいたい2年間が目安となるのだけど、この2年間の間はなにもしなくていい、というわけではない。

やはり、3か月月経が来ない場合は、立ち止まって理由を考える必要がある。

1年半月経が来ない、という10代の患者さんに数か月前に会ったが、摂食障害が背後にあった。月経が来ないという主訴のおかげで、幸いケアにつながってよかったのだけど、主治医が様子見しすぎてしまっていたと思う。体重的には決して普通の範囲に入るのだが、過去1-2年の体重の経過をグラフで見ると、明らかに激減した時期があった。体重はこの数か月で順調に増えてきたが、月経再開までにはまだしばらくかかりそう。

大学生の患者さんで、人生いまだかつて月経がない、という患者さんにも会った。主治医にはたびたび無月経を報告していたようだが、もう少し様子見てみましょう、でズルズル専門家への紹介が遅れてしまったようだ。人生いまだかつて月経がない場合は、かつてあった月経が止まった患者さんとはまた違う。考えられる原因がさらに増える。体の構造的に子宮や卵巣がないとか、膣が子宮と通じていない、などという場合もある。

バレリーナ、フィギュアスケーター、新体操選手、長距離選手などは、いわゆる摂食障害がない場合でも、長年にわたる激しい運動で、体脂肪が極端に少なかったり、体重も非常に軽かったりで、月経が止まるにとどまらず、低エストロジェンが骨粗しょう症の発症もきたすことが珍しくない。

「なんでもっと早く手が打てなかったかな。小児科医がもっと早く患者さんを送ってくれてたら。」と思ってしまうが、月経が止まったおかげで少なくとも今、手が打てていることをよかった、得した、と 患者さんの気持ちを盛り立てようとしている今日この頃。

アスリートとしての活躍が実って、大学のチームでも引き続き頑張ろうとしている患者さんに、あなたの無月経は運動が原因です、それだけでなく、あなたの骨は70歳代のおばあさん並みの骨粗しょう症があります、というのはなんと酷なことだろうか。歌手に歌うのをやめろ、と言っているに等しい。

まとめ:
月経不順を待ちすぎない。3か月たって再開なければ、専門家に相談を。
16歳になっても人生いまだかつて無月経の場合に primary amenorrhea (原発性無月経)というが、13歳で第二次性徴のサインがないとか、15歳でもまだ月経が来ないときには、専門家に相談を。(原発性無月経は、原子力発電とはまったく関係なし。)

2019年8月29日木曜日

11年来の夢達成:FNP合格

EmoryのWomen's Health Nurse Practitioner program入学当初は、NPといえばWHNPしか知らなかった。Family Nurse Practitioner という存在があり、性別や年齢にかかわらず、患者さんのプライマリーケアにかかわれるということは入学後に知ったこと。

ジョージア南部の農村での実習で、FNP学生と接して、彼らの知識と技術にたまげた。またかつて大学生用のクリニックで働いていた時も、プライマリーケアの知識と技術の必要性を強く感じた。

Emory卒業から今年で早11年。3年がかり(うち、1年は休学)で5月にPost-Master's FNP Certificate Program を卒業し、7月末にAANPの board exam(資格試験)を受けた。試験会場では仮合格の通知をもらったものの、オンラインで正式な結果がでるまでなんと3週間かかり、それから1週間余りたって、ついに証明書が届いた。

ただいま州のライセンスの手続き中。

ペンシルバニア州のライセンスは、まるで初めてNPライセンスを申請する人と同じように費用が発生し、さらに州外の学校の卒業生だと追加の費用があって、合計160ドル余りを支払った。これには、犯罪歴を調べる費用も含まれている。AANPからの証明、学校の成績証明書、などなどもろもろも書類がそろわないといけない。

ちなみに、ジョージア州のライセンスも、使わないのにずっと維持してきたのだが(2年ごとに更新のお金を払って)、こちらは、NPとしての領域を増やしても、ライセンス上の手続きはいらないとのことであった。それぞれのNP領域(WHNP, FNPなど)の board certification を維持・更新し、かつそれぞれの board certification の専門領域(scope of practice )内で働くかぎり、いちいち看護局側はライセンス変更等の手続きを課さないとのこと。ただし、いままでNPだった人が、Nurse Anesthetist になったりして新たな "role”を担う場合は、もちろん新たなライセンスを申請する必要がある。

2019年6月19日水曜日

電子カルテの種類によるワーク・ライフバランス

最近職場で、ワーク・ライフバランスのことがしばしばトピックに上がる。
組織として、まじめにこのことに取り組もうという姿勢を子芋も歓迎する。

仕事は夕飯時間までには切り上げましょう、という感じの unofficial な標語も聞く。(ちなみに、その「夕食時間」が何時、とは言っていない。)

しかし、本当にワークライフバランスを言うのであれば、
末端のスタッフが日に日に使う電子カルテの質を上げるということを、まずはやってほしいなと思う。

子芋は今までに4種類の電子カルテの経験があり、現在は2種類の電子カルテを使っている。その日の勤務先によって、カルテXを使わないといけないところと、カルテYを使わないといけないところがあるんだが、カルテ書きにかかる時間も、疲労感もまるで違う。

ということを前から訴えているのであるが、子芋や同僚の声は届かず。。。

「みなさん仕事は早く切り上げて帰りましょう」的なアナウンスに従ってサクサク帰ってもよいけど、結局終わらなかったカルテ書きは家で続きをするなり、翌日するなり、いずれせねばならないわけで、定時帰宅だけを呼びかけられても、困るというのが本音。

医療者のなかには、「カルテの出来は ”A”を目指さず”C程度”でええんや。」という開き直り(?)派もいると聞くが、専門家としては一定の質っちゅうもんがいる。

そもそもカルテは、自分の趣味で書いているわけでなく、患者さんの主治医やほかの分野の専門医など、患者さんとかかわりのある複数の人が読むわけだし(そして最近は患者さん自身がポータルサイトを通じてカルテそのものを読めるようになっていっている時代)、自分自身も何週間/何か月あるいは何年後かに患者さんと再会する際に、前回自分が何をどう考えていたのは分かるように書いておかねば、自ら苦しむ。

内容的にも見た目的にもスッキリしとしたカルテを書くには、カルテそのものの使い勝手が勝敗を大きく左右する。カルテXを使う日でもカルテYの日でも、子芋個人のレベルで、なるべくまっとうな質を目指しているが、あまりの使い勝手の違いに、いまだに驚く。




2019年6月12日水曜日

プリセプター探しにおけるマナー

全米各地、ナースプラクティショナー(NP)やフィジシャン・アシスタント(PA)の学校はどこも人気らしい。学校も凝ったウェブサイトやバンプレットを作っている。

しかしながら、学校がどこまで実習先の確保に力を貸してくれるかという点にはばらつきがある。学校側がほとんど探してくれるところもあれば、学生側が責任を持って自分で探さないといけないところもある。

子芋の場合、Emory時代は前者であった。日本からポンと飛び込んだ自分に、先生が実習先を確保してくれていたのは、今思っても、本当に恵まれていた。

先日卒業したUniversity of Massachusetts Boston  の場合、全米から学生がオンラインで「登校」しているということもあり、学生自身が責任をもって実習先を探すというのが、最初から明確になっていた。

仕事を通した関係やら、上司や同僚のツテなど、いろいろなルートを駆使してもなお、実習先の確保には非常に苦労した。成人のプライマリーケアの実習先にあたっては、40-50人にアプローチした。

なので、学生からプリセプターのリクエストがあった場合、子芋は断らない、というか断れない。ただし、子芋の今の働き方(週25時間)、かつ計8か所のクリニックに行くというスケジュール(通勤に車で最長1時間)、また思春期・青年期クリニックという特徴がら、患者さんの年齢が主に9歳くらいから上は26歳まで、というユニークな領域なので、それについてあらかじめ説明する。

子芋との実習は、月経にまつわるトラブルの対応やIUD・インプラントの管理も含め、リプロダクティブ・ヘルスに関するケアが豊富なので、Women's Health あるいは 小児科実習の「一部」としてはよろしいが、決してWomen's Health あるいは小児科実習の時間割り当ての「全部」を子芋のところで過ごすのは不適切、とも説明する。

だってそうでしょう、Family Nurse Practitioner の学生が妊娠期や産褥期や更年期のの患者さんをまったく診ずに実習を終えてしまったり、Pediatric Nurse Practitioner の学生が、一般小児科の実習をせずに卒業したら、それは大問題。

このような点をクリアに説明すると、大方の学生は大した返事もよこさず逃げていく。基本的なメールや電話のマナーにかける学生が多くて閉口する。自分がプリセプター探しに本当に必死であったため、マナーの悪さに余計に唖然とする。

子芋が学生に求むマナー:
1)まるでスパムメールのようなメルアドからではなく、学校もしくは職場のオフィシャルなメールアドレスからメールすべし。
2)プリセプターのレズメ(履歴書)を要求する前に、まずは自分のレズメを最初のメールに添付し、自己紹介すべし。
3)いくら私の個人情報をNP団体のウェブサイトから得たとしても(メンバー同士は情報が見られる)、それをかくかくしかじかと説明すべし。
4)いきなり個人携帯にテキスト(携帯メール)してこない
5)もらったメールには24時間以内に返事をする。興味がないなら、そう伝える。
6)メールの口調はいつも丁寧に。

子芋が学生に勧めたい、実習先確保のコツ:
1)地元のNP団体に所属する
2)地域・州のNP団体の学会・勉強会に積極的に参加し、顔のつながりをもつ
3)たとえ必要な実習時間が20時間でも300時間でも、その時間「丸ごと」を依頼するのではなく、あえて「some hours」をお願いできないか尋ねる。子芋の場合も、小児科実習300時間のうち、約1/3をAさんに、1/3をBさんに、残る1/3 をまた何人かのピンチヒッターに割り振ることで、一人当たりのプリセプターの物理的・精神的負担感を減らした。


以上、学生の立場で実習先確保に苦労した経験と、プリセプターの立場でもどかしく思う経験からの おぼえがき。

2019年6月11日火曜日

卒業しました!

すっかりごぶさたしております。
おかげさまで、先日Post-Master's FNP Certificate Program を卒業しました。

入学したのが2016年の5月。2017年は父の病気&旅立ちで結局丸1年休学。
2018年1月からまた再開し、そこから1年半でゴールしました。

最期の学期は、週25時間の仕事を続けつつ、14週間で300時間あまりの実習をしていたので、
その間生活のいろいろなところにしわ寄せが行きました。

まず、食事はすべて とまとまんにお任せ。
慢性的に睡眠不足。
掃除は最低限。
メールも最低限。
数独もがまん。

実習が終わって、ちょうど1か月になります。

料理をぼちぼち再開し(手際がとても悪くなった)、
家じゅうの掃除をし、
トマトを植え、
とまとまんと久しぶりに旅行をし、
メールを何か月分もさかのぼり、
数独もちょっとやりました。(でも途中であきらめて、結局とまとまんに渡す。)

次の目標は、Family Nurse Practitionerの試験に受かることです。
この1か月ちょっとのんびりしたので、ここからペースを上げていきます。


2019年1月14日月曜日

日本の親戚とピッツバーグの親戚

日本で2週間過ごし、大晦日に帰宅。2日から通常勤務。飛行機の中で年賀状代わりのnewsletter の下書きを書いたものの、いまだ仕上げておらず、まぼろしに終わりそう。

夫の実家ではフリージアの出荷の最盛期で、収穫・出荷の手伝いを楽しんだ。朝起きて、朝ごはん食べて、まず出荷。それから花を切り、10時のおやつ。また花を切り、昼ごはん。午後はその日によっていろいろ。3時のおやつ。またいろいろ。5時半にはご飯。

子芋の実家では、やることリストをこなすのに必死で、しかも帰る前の日になって、母がやっぱり年賀状を出すと心が変わり(今回は出さない、と最初は言っていた)、それから とまとまんと、子芋、子芋の妹夫婦の4人でさらに忙しくなる始末。喪中の有無をとわず出せるように「寒中見舞い」の体裁にし、朝ごはん中・後に200枚余の印刷をし、昼前のバスに何とか間に合った次第。

子芋実家で唯一リフレッシュできたのは、いとこ達とそのうちひとりの息子が訪ねてきたとき。彼は 他の誰よりも とまとまんの本名を「……さん!」完璧に覚え、とまとまんはご満悦であった。

週末、Aさんのお宅で新年恒例のお餅パーティーがあった。在ピッツバーグの日本人や日本にゆかりのあるアメリカ人、近所の人たちなどが集まる。平たく言えばピッツバーグの「親戚」みたいな人たちである。お餅やもちより料理の味もさることながら、このような場とネットワークがあることに感謝である。