2017年1月31日火曜日

気管切開という選択

父は、たぶんこちらが思っている以上にこちらの言うことは相当わかっているのだが、首をたてよこに振る以外、思っていることを声や文字を通してこちらに伝えることが困難なため、家族が代わりにいろいろな意思決定をしなくてならない。

今日は父の気管切開が無事終わり、本当によかった。気管切開するかしないかということを、帰国中、家族と非常に悩んだが、蘇生という観点からではなく、「今」少しでも呼吸と痰のケアが楽になるようにという観点から、気管切開を選んだ。

父がこれをどう受け止めたか、確かめようがないが、尋ねたいところだ。

2017年1月30日月曜日

ミミズくん健在

帰ってきて、地下に置いているバケツの中のミミズくんたちを見に行った。元気そうでとても安心。エサとして入れておいた生ごみも、ほとんど匂わず。とまとまんが1週間貯めてくれていた生ごみをまた足した。

2017年1月29日日曜日

入国審査のあとの物々しい雰囲気

シカゴ空港で入国審査・税関を終えて扉を出たら、プラカードを持った人が大勢いて(「弁護士がご入用ですか?」などと書いてある)、メディアっぽい人たちもたくさんいて、変な雰囲気だった。

日本に帰国していた一週間、テレビも新聞もインターネットすらもろくに見ていなかったら、トランプ大統領がシリアやイランなど7か国の国民の入国を禁じたことも知らなかったんだが、後から考えるとその関連の騒ぎだったのだと思う。

子芋は幸い、突然の強制送還に遭うこともなく、スムーズな乗り継ぎでピッツバーグまで帰ることができて幸いであった。もし自分が対象7か国の国民だったりしたら、こうは行かなかったのだと思うと、やるせない。

2017年1月28日土曜日

年休を買うという制度

今勤めている病院では、休暇を1年につき1週間分まで購入できるという制度がある。価格は自分の給料に応じた額である。(例えば1週間分購入するときは、自分の1週間分の給料を支払う。)

日本への往復をやっていると、1週間なんてあっという間なのだが、今回の帰国はこれでちょうど賄えた計算。

今残る休暇時間はあと7-8日分のみなので、来週からまた頑張って働く。年休は働いた時間に応じて、2週間ごとに加算されていく。(最初にドバっとはもらえない。)手持ちの休みを使い切ってしまう状態になった場合は、無給の休みを申請する。

自分や家族の病気などで休む場合は、別の形で休みを申請する制度があるが、1000時間だったか1年だったかその組織で働いた履歴がないと、この制度には応募できない。

2017年1月27日金曜日

大事な情報を家族で共有するということ

父が病気になって、今まで父がひとりで担当していた家のなかの細かいことがたくさんあることが分かった。特に、母はIT系は今までiPadすらまともに触っていなかったので、父の不在をバックアップするのはとても大変である。

子芋も子芋の妹も、父のパソコンのパスワードを忘れていたが、とまとまんが覚えていてくれて助かった。


父が使っていたiPadで父に来ているメールが確認できるので、重要そうなメールは、子芋や妹が代理で返信。(4ケタのiPadパスワードを知っていてよかった。)


どこにどの仕事の書類があるか、とかいうことになると、なかなか大変。というか、お手上げ。


リビングウィルのようなものはついに見つからず。


教訓:

  • いざというときのために、重要書類の保管場所、パスワード(もしくはその在り処)など信頼できる人と共有すべし。

  • 電子的に管理している書類に関しても、場合によっては共有フォルダでシェアするなど、自分が開けられなくても信頼できる誰かが見られる仕組みを作るべし。
  • リビングウィル、遺書はじめ、自分の好き嫌いや判断の優先順位などは、普段から家族などに公言しておくべし。


2017年1月26日木曜日

イチゴのさしいれ

子芋が小さいときから家族ぐるみで付き合いのあるFさんが、ちょうど子芋が帰省中にイチゴを差し入れに来てくださった。入院中の父や、父を支える母のことをとても心配してくださっているとのこと。

米国の、ただただ大きいがちっとも甘くないイチゴを食べなれている子芋にとって、Fさんのイチゴは、世にこんなおいしいイチゴがあったのか、と思うほどのおいしさであった。

Fさんのように、子芋の家族をよく知っていて、近くで見守ってくださる方々の存在が本当にありがたい。

2017年1月25日水曜日

かかりつけ医について一考

今回父が入院、転院、再転院、という経過をたどる中で、いつものかかりつけ医が入院先や転院先の医師と我々家族(特に母)の間に立って、説明(専門用語から普通のことばに翻訳)や相談に乗ってくれたら、もっとよかったのになーと思う。父にはかかりつけ医がいるけど、入院したあとはすっかり入院先の医師の担当だけになってしまい、かかりつけ医と入院先の医師がコンタクトを取ったことはたぶんなかった。(おそらくそれが普通の対応なんだと思う。)

もちろん、病院から退院して、これからはかかりつけ医が担当、という状態になった場合は、連絡を密にするのだろうが、必ずしもそうでない場合(自宅には帰れないとか)でも、かかりつけ医と要所要所でつながっていられたら、きっともっと心強いと思う。

2017年1月24日火曜日

店先の買い物カートの大きさ

昔初めて米国のスーパーに行ったときは、買い物カートの大きさにたまげた。Costcoに行ったら、さらに大きくて、またたまげた。

最近は逆で、日本のスーパーに行くと、買い物カートの小ささにむしろ驚く。日本でもCostcoが広がっているらしいが、買い物カートはやっぱり大きいのかな。

2017年1月23日月曜日

病院のつれない対応

日本に帰国するたび、ありとあらゆるところのサービスや気遣いが丁寧で感動する。

レジでちょっとでも並んでいたら、手の空いている店員が小走りで駆けつけて別のレジをすぐ開けてくれたり、全然待っていなくても「お待たせしました!」と言ってくれたり、お店やビジネスに電話しても大概すぐに人が電話に出て(アメリカだと出鼻は自動音声対応が少なくない)くれるし、もうなんて便利な国だ、と再確認するのが毎度のことである。

けれども、医療に関しては、このパターンがなぜか見られないことも珍しくないということを、身をもって体験中。

例1)面会時間の制限。某病院がインフルエンザ対策と称して、病院全体の面会時間を17時から19時の2時間に縮小したのには憤りを感じたが、それがのちに面会そのものを禁じたことには、言葉も出なかった。

例2)病院に患者や家族が使えるWiFiが整備されていない。もし個人もちのWiFiがあっても、SkypeやFafeTimeができるのは、ロビーとかまでいけるぐらい元気な人たちだけ。

例3)入院中の患者やその家族に経過の説明が非常に少ない。某病院では1か月あまりの入院中、初期と退院間際にはまとまった説明があったが、その間の日々、また一週間単位でのアップデートがほしかった。

例4)医療関係者は父の治療はもちろん熱心にしてくれるが、母はじめ家族には関心がない(世間話でリラックスさせるとか、調子を聞くとかいうこともない)ように思われる。

例5)病院にもよるが、3人部屋、4人部屋、6人部屋など、相部屋が基本で、希望しても個室にとても入りにくい。

例6)もちろん個人差もあるが、患者や家族に対する言葉の使い方が偉そうな医療関係者が少なくない。様づけはむしろしなくていいから、基本的な言葉の使い方が改善できるのにな、と思う。

なんだか不満ばっかりになってしまったが、本当のところは、ひとりひとりの医師や看護師や看護助手たちは、必死に、可能なかぎりのベストを尽くしている。人間誰だって厳しい環境のなかで目いっぱい働いていると、優しさも気配りも使い切ってしまう。働く人にもっともっと優しさと気配りが注がれると、それがまわりまわって患者にも家族にも注がれるようになると思う。

2017年1月22日日曜日

飛行機の中で急病人

先月日本から帰ってくるとき、シカゴからピッツバーグに戻る飛行機内で急病人が出て、「お客様の中で医師・看護師などの方がいらっしゃいましたら、客室乗務員までお声かけください。」のアナウンスに対応した。そのときは結局インディアナ州のどこかに緊急着陸した。

今回は、ニューアークから成田に向かうの飛行機の中で、同じようにアナウンスがあった。子芋のほか、整形外科医とリカバリー室の看護師が名乗り出て、対応した。今回は幸いあと2時間半で成田に着くというところで、症状的にも重症とは思われなかったので、機内にあった薬で対応して、あとは横になって休んでもらった。

ともかく、無事に到着してよかった。

2017年1月21日土曜日

ふたたび、急きょ帰国

先月に引き続き、父のことで急きょ帰国することにした。けっして父の病態が急変したわけではなく、むしろ今はやや落ち着いている。ただ、大学病院から地元の病院に戻ってきたのち、医師の説明に困惑するところがあり、また今後の医療方針についても医師や家族と腹を割った話が必要な時期にきているため、子芋参上のときである。


2017年1月20日金曜日

あこがれの、みみずコンポストを始める

vermicompostingをご存知だろうか。魚釣りの餌に使われているようなミミズに野菜くずなどを食べてもらって、土づくりをする一つの方法のこと。

植物園の無料講座でこのことを知って、いつかやりたいと思ってきた。とまとまんは難色を示すので、なかなか開始できず、そこへさらに父が入院したりして気持ち的に落ち着かない日が続き、ますます決心がつかなかったが、ある時思い切って、やっぱりやろう、と思った。

まずはミミズを手に入れることから。地元で育てている人に分けてもらおうと思ったが、Craigslist やFreecycleなどでは見つからず、結局はペンシルバニア州内のあるミミズ屋さんからインターネットで買った。送料込みで20ドルくらい。(とまとまんは子芋がミミズを買ったことと、20ドルも使ったこととに、二重でショックを受けている。)

日本料理店の店主にもらってきた空の醤油容器(バケツ)に、1か月分くらい生ごみを貯めておいたので、それに小さくちぎった新聞紙や段ボールなどの紙類を混ぜて、程よい湿り具合にし(水が滴るほどではいけないとのこと)、そこにミミズちゃんたちを放した。

もっと詳しく書くと、バケツは二重にしている。バケツ1つには底と側面にドリルで穴をあけて、もう一つの穴の開けてないバケツの上に重ねている。そうすることで、余計な水分があれば、穴をとおして下のバケツに流れていく。そして、バケツの上には、古いTシャツをかけて、通気性の良いフタ代わりにしている。

さいわい今のところ、みみずちゃんたちは元気そうで、小包で届いたときよりも大きくなっている。今後がますます楽しみ。

父の具合について、このところ毎朝毎夕のように母や妹と電話やHangoutやメールをし合う今日この頃。いろいろと落ち着かない中、ミミズちゃんの成長や、生ごみが少しずつ土になっていく様子をみると、ちょっとほっとする。

2017年1月10日火曜日

病院に入院中の家族が泊まれる宿

父の転院先は、実家から高速道路を使って1時間余りかかるところだった。母は高速道路の運転に慣れないので、病院のそばにアパートを借りることにした。

通常のアパートは、やはり契約期間が1年とか2年とかあり、また敷金や礼金もあるので、このさきどれだけ滞在するかわからない身には敷居が高いし、不動産屋・大家さん側も乗り気になってくれないということが分かった。

AirB&Bとかシェアハウスも探したが、すぐに入れて、かつこの先数週間続けて滞在できるところは見つからなかった。

それで、結局、ウィークリーマンションを契約した。インターネットで空室検索も契約もできて便利だったが、人数が増えたとき、減った時にいちいち連絡を入れないといけない、とのことで(そのたびに布団を借りたり、返したり。人数が増えるときに料金が増えるだけでなく、布団を返す時に引き取り料が毎回発生)あほらしいので、子芋や妹が時々泊まってもよいように2人入居ということで申し込むとかなりの金額になってしまった。

申し込んだ翌日に入居できてよかったが、あまりの狭さと、貧弱な作りに、涙が出た。母は、ただありがとう、ありがとう、という感じで、気にもしていないようだったが、それがまた子芋にはこたえた。

きっと日本全国、いや世界中に同じような境遇の家族がいるんだと思う。子ども病院の周辺には、マクドナルドハウスが整備されているところもあるが、大人の患者の家族にも、帰ったらちょっと落ち着ける滞在先がいるよなぁ。

2017年1月9日月曜日

医師の説明の解説をするメール

先月帰国した際、父の状況や家族の様子について、おじ・おば・いとこたちにメールで経過をまめに書いていた。

父のようすが少し落ち着いて、子芋がピッツバーグに戻ったあとも、1週間に1-2回はアップデートをメールで送っている。

一番遠いところにいる子芋が、スポークスパーソンの役をするのはちょっと変なのであるが、医療情報となると子芋のほうが母や妹よりも得意ということもあり、なんとなくこの役に落ち着いている。

今まではなるべく明るく書くように心掛けていたが、この週末は、厳しい現状も伝えないといけなくて、書こうにも心がそわそわと落ち着かず、掃除をしたり、友達に電話したり(こういうときに限って出ない)したあと、ようやく取り掛かった。

悲観ばかりしてもしょうがないし、かといって、無邪気にただ楽観視してもいけないし、そのあたりを書くのがとても難しかった。おじ・おば・いとこは皆日本国内とはいえ、それぞれ遠方。見舞いといってもみんな長旅となってしまうのが大変。

2017年1月8日日曜日

自分の戸籍謄本が郵送請求できないという滑稽

先月の帰国中、本籍地のある自治体に、郵送で戸籍謄本を請求しようとしたが、海外在住先の住所からの郵送請求はできるのに、帰国して日本にいる子芋が現住所あてに郵送請求することはできないという。仕方がないので、母に委任する委任状を書いて、母が子芋の戸籍謄本を請求するという形にして、母の身分証明書を同封すると、請求できた。

おかしなシステムである。

結局、父の転院先に子芋も移動したりして、その後も戸籍謄本を手にする前にピッツバーグに戻ってきてしまったんだが、今後また戸籍謄本を郵送請求するのはもうばかばかしいので、次回帰国した際には、本籍地を実家のある自治体に変えるつもり。

2017年1月7日土曜日

池の上でアイスホッケーする人

今朝のさんぽ中の風景。池の上でアイスホッケーするひとたち。
 つららを取って剣のようにしようと思ったが、取れず。

2017年1月6日金曜日

介護する側が介護される役に急になるということ

11月半ばに急に病気になるまで、父は母と一緒に祖父母の介護をになっていた。父は持ち前のユーモアのセンスで、普通の人だったら腹を立てるような場面でも笑いに変えて前向きに取り組むのが得意。ゆえに、父にとっては義父母にあたる祖父母の介護は、父がより直接的に、母は後方支援的に二人三脚でやるとうまくいっていた。

今回父が病気になり、入院、さらには遠くの病院に転院、という事態になり、母も転院先の病院そばにウィークリーマンションを借りた。その間、叔母たちが、祖父母の介護を全面的に担当・調整してくれて助かった。

前後して、子芋の元同僚のお母さんが、氷の上で滑って骨盤を骨折。お母さんはお父さんの介護をしていたそうだが、入院でできなくなったので、元同僚が介護を急きょ担当。

介護者がいつも、いつまでも元気とは限らない、という当たり前だが悲しい現実。

2017年1月5日木曜日

医療チームからの説明がほしい

先月慌てて日本に帰国して、2週間ほどいた間は、医師に直接質問ができたので、納得のいく説明が得られてよかった。が、一旦ピッツバーグに引き上げると、その後、母を通して聞く医療チームからの説明は非常に内容が乏しい。

そのうえ、23日は天皇誕生日、12/29-1/3は年末年始、でリハビリもお休みとなり、悔しい。(でまた、成人の日で今度の月曜日もまた休みらしい。祝日天国。病人と家族にとっては、祝日地獄。)

年末年始の間に、母、妹、妹の夫、とまとまん、子芋、の5人で質問リストを作った。が、医師は医師で3が日明けに説明の用紙を用意してくれていたので、結局質問リストは役立たなかった。(居合わせたら、もちろん質問したわけだが。)

医師が3週間分くらいの経過と今後の見通しをまとめて説明してくれてよかったが、こんなに溜めないで、せめて1週間ごとに説明のひとときを取ってくれると、家族としては、ありがたい。よいニュースも、かんばしくないニュースも、共有することでもっとお互いの信頼も益すと思う。

それから、我々の質問リストを見た医師が、質問はその都度してもらったほうがいい、とか、というような回答をしたそうなんだが、マメに説明してもらっていたら、そもそもこんなに質問はたまらなかった。

それから、専門的な質問が多いので答えにくい、というコメントもあったようなんだが、家族みんなが医療関係者、なんていう家族に対応するときはどうしているのだろうね。患者・家族が求めているニーズに応じて説明するのがプロだと思うんだけど。

大名行列的な回診も、少しは患者と家族のベネフィットになるようにやってもらえたらいいと思う。

2017年1月4日水曜日

とまとまんの3泊5日帰国

とまとまんが父と家族の様子を見に行ってきてくれた。彼の今回のミッションの1つは、母のWiFi環境を整えることだった。

病院に患者や家族が使えるためのWiFi環境がないのは痛い。日本はWiFi環境のない病院も珍しく内容で、意外に思う。病院内の喫茶店ですらWiFiがないので、すごく残念。

とまとまんの特訓により、母もFaceTimeやHangoutを使えるようになった。電話代を気にせず話せる環境が整って、本当に感謝。


2017年1月3日火曜日

ニューイヤーレターを送信

父の体調が非常に心配な今日この頃。仕事に集中しているとき以外は、そわそわとどうしても落ち着かない。

心配は尽きないが、何年かぶりにニューイヤーレターを書いた。前書いたのはいつだったか思い出せないくらい前である。今回は英語版を先に書き、日本語版を後から書いた。

明日になると、また父の具合がどうなるかわからない。変わるとまた書き換えないといけないので、えーーい、と送信してしまった。

が、最近メールのアドレス帳の管理がまるでできておらず、届かずに帰ってきてしまったものが多かった。届かなかった方、ぜひご連絡ください!と言いたいところだが、それは無理ってもんやね。

郵送でないと届かない方々の分を印刷するところまでは体力がもたず、断念。

2017年1月2日月曜日

Googleの電話、日本でも役立つ

昨年2008年から使っていた携帯電話をついに止め、GoogleのProject Fiに切り替えていたのだが、これが日本帰国中にもとても役立った。

特になんの手続きをしなくても、空港についてすぐにインターネットもテキスト(SMSメッセージ)も使えた。電話として使うと日本国内にかけても「国際電話」になってしまうが、Hangoutなどインターネットベースの電話もどき機能を使えば無料通話できるので、「国際電話」しないといけない場面は少なかった。

おすすめです。

2017年1月1日日曜日

緊急帰国を決めた日の朝

あっというまにお正月になりました。
ご無沙汰しております。やっとブログを再開します。

友達のおかげで、おいしいおせち料理とお屠蘇で新年を始めることができました。

以下はもう1か月ちかく前の話。

家族の中でも抜群に元気な父の体調が急に悪くなり、急きょ日本への帰国を決めた。朝起きて、妹と電話で話し、それから上司に連絡。その間、とまとまんが飛行機を検索。

即インターネットで飛行機を押さえようとしたが、出発まで6時間を切るとインターネットでは予約できないということで、航空会社に電話。10-15分ぐらい自動応答メッセージを聞いたあと、ようやくオペレーターにつながり、無事予約・購入完了。

バックパックに荷物をあわただしく詰め、期末テストに取り掛かった。テストは翌日の夜8時締切だったので、日本についてから受けるという手がないでもなかったが、プリントもろもろを携えていくカバンの余裕もないので、速攻受けることにしたわけ。

テストは75分の制限時間だったが、バスに間に合うためには60分以内に終えないといかんぐらいに時間が迫っていたので、とにかく受けて、見直しもしないで出して、そのあとラップトップパソコンをバックパックに突っ込み、バス停まで走った。

なんとか間に合ってバスに乗れ、空港にもほどよい時間につくことができた。

今回の経験で学んだこと:
急な飛行機の予約には航空会社への電話が必要
バックパックは背負っても走れるくらいの軽さにすべし