2011年5月31日火曜日

家じゅう大公開ごっそりセール

つい2,3週間前の土曜日の朝のこと、隣のおじいさんの家の前に朝から三々五々人が集まって来ていた。ガレージの前には、おじいさんの使っていたものと思われる歩行器が2,3台並んでいる。ハウスメイトのナナコさんは、「小芋ちゃん、悪い予感がするのよ。」と。

おじいさんの家では、ガレージセールならぬ、estate sale、要は「家じゅう大公開ごっそりセール」が始まっていた。ペンチやドライバーなどの工具の数々、傘、使いかけの文房具から、食器類、本棚に入っている本・雑誌、台所用品、クローゼットに入っているコートや靴、使い古したタオルまで。亡くなったおばあさんが使っていたと思われる裁縫セット、編み針、毛糸、それに写真をすべて抜き取って空にした写真たての数々も。洗面所には歯磨き粉とか面棒など、ふつうにまだまだ使えそうなものもたくさん。大きなところでは、ソファー、照明器具、テーブル、椅子など、使われていた家具がそのまま売られている。

3階建ての家の各階には店員というか、おっちゃんが1人ずついて、会計はガレージにいるおっちゃんがレジを打っていた。

私はナナコさんの言葉を真に受けていたし、なにより歩行器が売りに出ているのを見た時点でおじいさんは亡くなったもの思った。そして神妙に家の中をさーっと見るだけ見た(結局何も買わなかった)のだが、実はおじいさんは生きていらして、夕方車を運転してどこからか元気に帰ってきた。

後で聞いた話だが、おじいさんはこのたび家を売りに出し、自分はどこか別のところに引っ越すことになったらしい。それで、売れる持ち物は売っちゃえ、と業者を雇ってこのようなセールを開くに至ったようだ。ちなみに、午後1時からは全品半額セールだった。家の中身はそうして売れていって、売れ残りだけがゴミとなったわけだ。で、肝心の家自体だが、こちらも売りに出したその日に買い手がついて、見事に売れたらしい。

今回、このセールを目にした自分への覚書:
1.持ち物はなるべく少なくすべし
2.特売だからといって、自分が管理できないほどには買いだめしない 
  (自分が死んだあと、大量の生理用ナプキンとかでてきたら、発見した人が困るだろう。)
3.気に入ったよいものは、大事に使う。いいものは、古くても売れるかも。誰かが使ってくれればゴミにならない。
4.どんなにお気に入りのものでも、墓場までは持っていけない
5.ときどき引っ越したほうがいい

なお、ウィキペディアによると、estate sale とはガレージセール・ヤードセール・オークションなどの一種で、最近亡くなった人の遺品をごっそり処分するときや、高齢者住宅や介護施設などに移り住むにあたって所有物を処分する必要があるときに行うもの、というように説明されている。(これは私なりの意訳なので、詳細はこちらを。http://en.wikipedia.org/wiki/Estate_sale )





2011年5月30日月曜日

150%人生

日本から戻って以来、年次評価表の締め切りがあったり、マーケティング活動のためにスライドを作ったり、ボランティアとしてやっている在ピッツバーグ日本人向けの催しがあったり、チャリティーイベントでバイオリンを弾いたり、はたまたアメリカ弟の結婚式があったり、と予定が立て込んだ。

仕事のためどうしてもやらねばやらないこと、自分で好きで入れた予定、前から人に頼まれていたことなど、その一つ一つは大きなことでなくても、これらが一気に重なるととても窮屈になった。

それを見かねて、とまとまん は、「いつもいつも150%で生きとったら、長生きせえへんで。」とぴしゃり。がーーーーん!! 何も予定がないからと予定を安易に入れるのではなく、土日の少なくとも1日は「空白」という予定を入れないといかん、と注意された。つまり、「空白」が先に予定として入っているので、もはや後から予定は入れられない、ということである。

毎日毎日予定がいっぱいでもこなせてしまう人もいる。でも私は確かに、がーっと忙しかった後は、引きこもりをする静かな日がないと、バランスが取れない。愚痴の聞き役 とまとまん ならではの忠告。

長旅から昨夕戻り、引きこもりの今日(祝日で休み)は、車を洗い、料理7品作り、洗濯、アイロンがけ、メール整理、そして久々のブログにいそしんだ次第。

弟の結婚式翌日

結婚式翌日、ホテルやモーテルに分かれて泊まっていた親戚一同が、Cayuga Lake State Park のキャビンに集合。ここにはアメリカ弟1と弟2の一家が泊まっていた。パスタサラダを作って食べ、あとはのんびりとたっぷりとおしゃべりをしたり散歩をしたりした。夕方はハンバーグ・ホットドック・アスパラガスなどを焼いて食べた。

夜はおばさん2人とおばあちゃんと一緒の部屋だった。もう1人のおばさんも加わって、12時まで話し込んだ。子育て真っ最中のおばさんや子育てがひと段落しつつあるおばさんたちが、これからの人生で何をしたいかを熱く語ってくれた。おばあちゃんが、やりたいことは後回しにしないでやっておきなさいよ、と言っていた。

今回の旅では約900マイル走行した。行きも帰りも運転はくたびれたけど、いつもだったらなかなか会えない家族と会えたのが何よりよかった。(内訳:ナッシュビルの弟1一家、ボストンの弟2一家、ユタ州の大学に通う妹、ニューメキシコ州に引っ越した両親+弟4と弟5、ミシガン州のおばあちゃん、インディアナ州のおばさん2人、ワシントンDCのおばさん一家、それに今回結婚した弟3とその相手、以上。)


アメリカ弟の結婚式

ウェディングケーキ

アメリカ弟3(6人きょうだいの上から3番目)の結婚式のため、ニューヨーク州の Palmyra に行った。式自体は モルモン式なので、両親・きょうだい・おじおばなどの限られたものだけが参加。その間年若のきょうだいやいとこたちは、近くのホテルで待機。わたしは大学生の妹らとベビーシッター係りのあと、母が注文していたサンドウィッチを店に取りに行った。

式が終わるころにあわせて子供たちを車に乗せて神殿に向かい、みんなで雨の中写真撮影。そのあと近くでサンドウィッチをみんなで食べた。寒かった。。。。

レセプションは、2時間離れた町で開かれた。大雨のせいで木が倒れて停電して、自家発電機をつかって間接照明だけ使っての会だった。教会の体育館が間接照明のおかげでなんともロマンチックな感じになった。トイレには懐中電灯を持って入った。) なごやかなレセプションになった。

新郎新婦の車は、きょうだい達にマーカーでデコレーションされ、中は風船でいっぱいにされ、車の後ろにはペットボトルの飾り(?)がじゃらじゃら。きょうだいたちは新郎新婦の反応に満足げだった。2人はその車でフロリダへ新婚旅行にでかけた。

2011年5月23日月曜日

ピッツバーグマラソンの応援

16日(日)、ピッツバーグマラソンがあった。ちょうどうちの近くをランナーたちが走っているそばを、ちょっとだけ歩いて通る機会があった。沿道に、自ら作ったであろうプラカードを掲げながら、選手に言葉を掛けつづけている女性がいた。

"You guys are looking BEAUTIFUL! Keep running!"
"Stay strong! You look wonderful"

そのとき走っていたランナーたちは、もはやまばらで、速度的にも歩いたり走ったりを繰り返している感じのスピードだった。女性の掛け声は、そばを単に通りかかった私にまで勇気を与えてくれるようだった。

日本語だと、ついつい「がんばってーーー」の一辺倒になりがち。英語のこういう肯定的に励ます言葉の数々って、なんとも力づよくていい。

2011年5月22日日曜日

年間の評価表

日本から戻ってちょうど2週間たった。ブログに書きたいテーマはたまっているが、記事に起こすまでの気力が足りない。

この前の週末は、年間の自己評価表の作成に捧げた。とまとまんには 2時間で終わらすようにいわれたけど、書き足しては直し、を繰り返しているうちに月曜の明け方までかけてしまった。それでも無事完成したのでよかった。

アメリカ的に、できたこと・貢献したことを具体例を含めたくさん書いた。普段ノートに取っているメモが役立つ。

ハウスメイトのナナコさんは、わたしの過去のブログの記事で印象的だったところを挙げて、「あれとこれについてはぜひ書いたほうがいいよ。」というようにアドバイスくれた。自分が書くほどのほとでない、と思っていたことも挙げてくれたので助かった。

残念なことに、今期は組織全体の予算や景気状況の関係で、職員の報酬アップは一律ゼロになってしまった。各オフィス全体で一丸となって取り組んでいる4つの目標値に関しても、達成度に応じてボーナスがでるはずだったのだが、これもカット。目標を達成してきたのにな。残念。



2011年5月10日火曜日

HPVワクチンの仕入れ価格

kikuna さんからコメント欄にてHPVワクチンの仕入れ価格はいくら、とのご質問をいただきました。

National Cancer Institute のウェブサイトによりますと、Gardasil 1回分の retail price は約120ドルで、計3回摂取しますので、合計約360ドルとのことです。
出展はこちら。

ガソリン1ガロン=4ドル時代

ガソリンの値がどんどん上がっている。最近では1ガロン3.99あたり。4ドル台になるのももう時間の問題。

受付スタッフによると「ガソリンを入れないと診療所に行けないのですが、いまガソリンよりもどうしても優先せねばならぬ出費があるももので、やむなく予約をキャンセルします。」という患者さんが最近いらしたそうだ。

この患者さんにバスという代替手段があったかどうかはわからない。ピッツバーグでは路線バスが最近大幅にカットされたので、もともと自家用車という手段がなかった患者さんにとってはすでに大きな痛手。

こういった交通事情によって、体の不調があっても受診を先延ばしにしてしまう患者さんは、今後ますます増えてしまうかも。心配だ。

音大生によるコンサート

ピッツバーグで学ぶ音大生有志によるチャリティーコンサートが今晩あった。母国アルメニアで大地震を経験したことのあるピアニストが奏でるアルメニアン・ダンスの音楽、ビオラとフルートのデュオ、トロンボーンとギターで聴く童神など。

まだ時差ぼけが残っているもんで、美しい音楽を聞きながら頭がカクンカクンと揺れてしまい演奏者に申し訳なかった。最後の曲は「となりのトトロ」をピアノ、トロンボーン3本にチューバの計5人による演奏だった。ゾクゾクした。

集まった募金はアメリカ赤十字を通して、日本の被災地に送られる。

2011年5月9日月曜日

a visit to 実家

ごぶさた。ゴールデンウィーク、1週間日本に行ってきた。東北地方の被災地ではなく、たんに家族として水戸へ。

水戸の被害は、東北地方に比べたらずっとずっと軽症。それでも地震の爪あとはそこかしこにあった。同時に、地震から1ヶ月半で急速に修理や対策が行われてきた一端もたくさん見た。地震でできた段差や亀裂で通行止めになっていた道路は、かなり修理が済んで通れるようになっていた。急いで直すほどでもない凸凹はまだあちこちにある。駅前の歩道橋でもまだ通れないところもある。常磐線は早くもスーパーひたちが走れるようになっていた。ぐにゃぐちゃに曲がった線路を直していった方々の奮闘を思うと頭が上がらない。地震後閉鎖されていたという偕楽園(梅で有名)は29日から部分的に開園していたが、隣の常盤神社の燈篭はまだ派手に転がっていた。一般の墓地でも、墓石が無残にもあちこち転がったまま。(まだみんな自分の家や職場のことで忙しいのだとおもう) 

外見的には一見無傷にみえる両親の家、実は屋根瓦をテープで止めて固定していたり、内装の亀裂・剥がれなどがそこここに。旧事務所兼自宅で鉄筋コンクリート作りの祖父母宅は、外装がごっそり落下して、鉄骨がむき出しになったり、窓ガラスが落ちたり、より派手な被害だった。この建物は今日から取り壊しが始まっている。

被害や不便なことを挙げたらきりがないが、とにかく家族が無事で感謝。母が地震後まもなく市からもらったという毛布は、難燃性のとても立派なものだった。父が出張中のなかでの震災で、連絡もなかなかとりあえず本当に大変だったと思う。

アメリカにいる私がインターネットでNHKニュースをみて、被害の大きさに言葉を失っていたとき、水戸では停電が幸いして、ひたすらラジオを聴く生活だった。随分たってから映像で津波の様子などを見て、より怖い思いをしたようだ。目の前の被害への対応だけで十分大変だったから、テレビが見られなかったのはむしろよかったろう。

本当は、片付けや祖父母の引越し作業でいちばん人手がいるときに行けたらよかったと思う。もう急ぐ作業はみんな終わっていた。地震のときごっそり棚や本棚から飛び出てきた私の古い本やノートは、両親がとりあえず機械的に棚に戻しておいてくれていたが、この機会にわんさか処分してきた。幼稚園の入園式でもらったカード、小学校1年生の「連絡帳」、大学入試センター試験の問題、模試の結果(なんでこんなのとっておいたのと、自分に怒り)やら。すべてとまとまんに見られてしまった。幼稚園時分の妹と小学生の私が出張先の父宛に書いた手紙には、お腹の皮がよじれるほど大笑いした。

今回の滞在は水戸のみで、四国の自宅やとまとまんの実家に行くのは次回までお預けだったけど、とまとまんが成田で迎え・見送りしてくれたというところがなんともぜいたくであった。私が美容院に行っていた時間以外、とまとまんとは1週間まるまる一緒に過ごせた。帰りの飛行機の中では、行きにも聞いた落語、立川志の輔さんの『買い物ブギ』をもう一回聞いて笑ってみたりした。