2012年11月15日木曜日

『偶然に委ねず、自ら選ぶ』


昨日発表された世界人口白書のタイトルは、"BY CHOICE, NOT BY CHANCE" で、その日本語訳が『偶然に委ねず、自ら選ぶ』となっている。


日本語訳されている序文と2章6章だけを斜め読みした。避妊を人間の「権利」の一つととらえ、その権利が行き渡っていない途上国の問題について触れてあった。これを読みながら考えたことを書く。

先進国のはずのアメリカでも、避妊の権利が十分行き渡っているかというと、決してそうではない。避妊そのものを快く思わない人たち、また公的なお金を避妊に関する政策や住民サービスに使うことを快く思わない人たちも少なくないし(選挙の度にヒヤヒヤする。自分に選挙権はないが。)、未だに避妊薬をカバーしない健康保険もある。保険のない患者さんが自費で払える避妊方法というと、選択肢がずっと狭くなる。

私の働いている診療所のように、10代でも(親に知られることなく)、保険がなくても、患者さんの年齢や収入額次第で無料または低額で避妊薬を提供できる場所もある。しかし、われわれの存在を知らない患者さん、通報されることを恐れて受診できない不法移民女性、交通手段がなくて受診するすべのない女性などにとっては、我々が診療の出前でもしないかぎり、ケアは届かない。

それから、避妊薬を手に入れたあとも、正しく使いつづけられるとは限らない。処方されても、実際には一度も使わない患者さん、使い始めても1ヶ月もたたないうちに中断する患者さんなど、枚挙にいとまがない。

「避妊していない、でも妊娠したいわけでもない。妊娠したらどうするって?、そりゃ困るわ、中絶なんかしたくないしーーー」という感じのスタンスの患者さんはとても多い。本人に妊娠の意図が全くなかろうが、セックスがあれば妊娠は起きうるのだが。そして患者さんは妊娠後は3つの選択肢のなかで揺れる。1.親になる 2.養子計画をたてる 3.人工妊娠中絶する。避妊法はいっぱいあっても、妊娠後はこの3つの選択肢しかない。

願わくば、「偶然にゆだねず、自ら選ぶ」という強い希望をもった上で積極的に避妊方法や妊娠の時期を考える女性を応援したい。でもそもそも女性がそういう意志を持つためには、避妊や妊娠以前に、そもそものカップル間の人間関係や、本人の将来に対する計画や希望、もっといえば社会一般が避妊や妊娠についてどういうメッセージを発しているか、とかもろもろが関わってきてて、診察室の中の孤軍奮闘ではきびしいな、と思う。

セックスも、避妊も、とてもとても個人的なことだが、それが積もり積もって、人口になる。2050年の世界人口は90億人を超えると予想されているとのこと。

いわゆる発展途上国だけでなく、いわゆる先進国においても、宿題は山積だ。

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