2013年11月7日木曜日

インフルエンザ予防接種を勧めたときの反応

この時期、私が患者さんにインフルエンザ予防接種を勧めると

「もう受けました。」
「あ、ぜひ受けたいです。」  

というさっぱり素直な反応がある一方、

「私はこのかた一回もインフルエンザ予防接種を受けたことはないし、インフルエンザにかかったこともないです。」

という感じの答えが結構多い。予防接種に否定的な保護者に育てられた患者さんの場合、特に誇らしげな余裕(?)すら感じられる。

ここでいかにひるまずに、積極的かつサポーティブに予防接種を受けることのメリットと受けないことのデメリットを語れるか、カウンセリング力が試される。

2013年11月6日水曜日

言葉がわからないもどかしさ

スペイン語 の先生の顔ぶれがガラリと変わった。授業がどんどんスペイン語で進んで行くが、私ひとり「すんませーん。わかりません。」(一応スペイン語でこれは言える)と言ってみんなの足を引っ張っている。

私の右隣は高校生、左隣は60歳代くらいのおじさん。みんなありたけの知識を総動員して頑張っている。

すでに知っていることは分かるが、知らないことは分からないーー何歳でもこれは平等である。

聞き取れないことで起こる不安と話せないもどかしさのなかでもたまに、「あ、それ知ってる! 前覚えたぞ!」という場面にも遭遇して、少しだけ名誉挽回する。

翻って、
母国語が英語でない患者さんが、英語で体調のことを私に話してくれたり、逆に私の話していることを一生懸命理解しようとしたりしているときの苦労を思うと、そのガッツに頭が下がる。

2013年11月5日火曜日

暮れた空を見ての発言

日曜からいわゆる冬時間になった。朝は明るくなったが、その分日が暮れるのが早い。

17時をちょっと回ったころ、スタッフの一人が窓に目をやり、「あー真っ暗!最悪!」と言った。

それを聞いてふと私は思った。自分も1年前だったら、同じことを言っていたかもしれない。確かに暗いけど、まだ真っ暗じゃない。きれいな紺色。暗いのは残念だけど、『最悪』とラベリングするほどのことでもない。

感謝の日記とか、meditation とか、ヘルスコーチからの数々の宿題をやってきた効果か。mindfullness が少し実践できてきているかも、と思った次第。

2013年11月4日月曜日

ぎんなん

銀杏がたくさん道に落ちている。だーれも拾っている気配がない。日本にいる両親はよく地元の神社や公園で銀杏拾いをしている。それを思い出し、ビニールの手袋をはめて「ちょっと」拾ってみた。通りがかりの人に「それ拾ってどないするん?」と聞かれた。

もちろん「食べます。」

実は拾うのは一番簡単で、その後の洗ったり乾かしたりする作業の方がずっと大変だった。両親に対する尊敬の念が深まった。

ヒビが入ったりつぶれてしまったものを除いて、食べられる状態のものが計677個あった。もちろん友達に配った。一人では食べきれん。

さっそく電子レンジで調理(?)して食べてみた。実にきれいな黄緑色。味もよい。

2013年11月3日日曜日

気持ちを書き出すこと

昨日のつづき。

感謝の日記とともに、「書く」宿題として expressive writing というのがある。気持ちを表現する作文とでも言ったらいいか。手順としてはテキストに次のように書いてある。(抜粋する。)

  • 邪魔されない静かな場所に、紙とペンを持って行く。
  • 気がかりなことはなんだろうと思い浮かべて、思い浮かんだことを書くテーマにする。
  • 15分ぶっとうしで書く。何も書くことがなくなったら、もうすでに書いたことをまた繰り返して書く。文法とか、スペリングとか、文の構成とかは何も考えない。
  • 書いている間、すでに書いたことを読まない。
  • 書き終わったら、破って捨てる。


私にとって一番大変なのは、15分の時間を確保するというところ。お風呂上がりにだいたいやるのだが、書いているうちに頭がかくーんとしてきて、15分起きていられないこともしばしば。

見開きのノートの左半分に書きながら、同時に右のページに感謝の日記を書く、ということもやってみた。書いている途中で感謝すべきことがまた浮かんだりするから。

自分なりのスタイル確立までにはまだ試行錯誤かな。

2013年11月2日土曜日

感謝の日記

ヘルスコーチ(10/16のブログを参照 http://koimokko.blogspot.com/2013/10/blog-post_16.html )からの宿題の一つに、感謝の日記 (gratitude journal)を書くというのがある。

このブログを除くと、日記というものとはしばらく縁がなかったが、宿題なのでやらないといかん、というわけでしぶしぶ始めた。

すると意外とこれがよい。なにせ感謝の日記なので、何を書くにも「〇〇ということが嬉しかった」とか「〇〇がよかった」とか「〇〇という事実に感謝だ」などというスタイルに落ち着く。

しくじったことや、悲しかったことも、ひとひねりすると感謝の日記に書けることに変身する。例えば、簡単な例でいうと、「今朝はバスにあとちょっとのところで乗り遅れた。でも別に遅刻もせず無事についたので、よかった。混んでるバスに無理矢理乗るより、座れたんだからむしろラッキーだった。」とか。

何日かこれをやっていると、日記を書いているときだけでなく、今目の前で起きている現象についても、その場で感謝すべきこととして認識する(もしくはひとひねりして感謝すべきことに変換しなおす)ことができる場面が少しでてきた。

宿題だからと仕方なーく始めたのであるが、思わぬ効能にびっくり。

2013年11月1日金曜日

出産時の瘻孔をとりあげた映画

しばらく前のことになるが、分娩時の損傷による瘻孔(ろうこう、つまり穴)、obstetric fistulaを取り上げた映画、『A Walk to Beautiful』のDVDを観た。 http://www.walktobeautiful.com

映画の舞台はエチオピア。小柄な体にして早いと10代半ばにして妊娠した女性たちがいざ出産を迎えたとき、赤ちゃんの頭が膣に何十時間、ときに何日も停滞するような難産に陥ってしまうことがある。膣の壁が赤ちゃんの頭に圧迫され続けた結果、壁の一部が破壊されて膀胱あるいは直腸とつながる「穴」ができてしまう。これが産科瘻孔。

赤ちゃんの頭の回旋異常とか、分娩遷延(時間のかかりすぎている分娩)などの理由で帝王切開ができれば避けられる障害だけれど、エチオピアに限らず医療設備のない環境で出産を迎える女性の多い地域では、残念ながら今も珍しくないようだ。

この瘻孔を通して、膀胱からは尿が、直腸からは便が勝手に膣に流れ込んでしまうため、生活に支障をきたす。加えて、便尿のにおいや性生活の不便さなどから、パートナーや家族から追放されて社会的にも精神的にも参っている女性たちの姿を映画の中で見た。

希望は、外科的な手術や膀胱機能の訓練などで、回復の余地がおおいにあるということ。田舎の村から徒歩とバスで何時間もかけて病院(産科瘻孔を専門に扱う The Fistula Hospital が首都アディスアベバにある)に行き、そこで治療を受けてはちきれんばかりの笑顔で帰って行く女性たちの姿はとても輝いていた。

The Fistula Hospital で献身的に働いている医療者たちに頭が下がる。将来的には、願わくば、産科瘻孔にいたらなくて済むような一次予防(たとえば栄養状態の改善、若年妊娠の予防、医療アクセスの整備、異常分娩時に帝王切開ができる環境の整備など)をするのが一番だと思うのだけど、限られた医療資源や交通の便を考えると、理想ばかり言っていられない厳しい現実がある。