2024年1月23日火曜日

看護師役を意識して母と話す

 世の中には、母・子の関係がすこぶる良くて、お互いにベストフレンドと思っている人もいるようだ。ベストフレンドとまでいかぬとも、大人になってからも、ことあるごとに母親にいろいろと愚痴を聞いてもらったり、助言や癒やしを求める人も少なくないと思う。


私と母は、顔こそとても似ているが(誰か1人くらい、私が父に似ていると言ってくれないものかね〜)、性格がまるで違う。子どものときは、その日その日の出来事を逐一報告していたように思うが、成人してからは、シェアしても今ひとつ関心がないように感じ、あるいは単に心配をかけているだけに思え、まめにいろいろ報告するのは止めた。


父の病気中、そして亡くなったあともしばらくは毎日電話もしくはSkypeで話していた。が、徐々にスペースを開けて、週1−2回まで減らした。open-ended questions で母の興味のありそうなことや、時事や天気など、会話を広げようといろいろ努力するが、広がらない。母はそもそもこちらのことに関心はないから、自分の近況を多少話したところで会話は続かない。


母本人の元々の性格に加えて、加齢による影響で、年々会話はますます低迷してきた。それでも義務感から電話する。最近は、子としてではなく、看護師としての自分を意識して母と話すようになって、自分の気分はいささか良くなった。


看護師としての自分を意識して母親と話す、という技は、同僚の看護師から教わった。ここで言う看護師、というのは別に看護師の技術面というよりは、プロフェッショナルとしての心構えみたいなものだと思う。子としてだとイチイチ瞬間的に腹立ったり、悲しくなったりすることも、看護師としての自分が患者さん(母)と話していると、イチイチ凹むことが少なく、わ続かない会話にも案外耐えられる。


別の友人(クレーン操縦士)は、父親(同じくクレーン操縦士)と話すとき、息子として向き合うんでなく、クレーン操縦士同士として向き合うと喧嘩しない、と言っていた。似た状況だと思う。


ちなみに、私と母は喧嘩しているわけじゃないんだが、重い沈黙と、「帰ってきてください(永久に)」というリクエスト、「私と母さんは人生でいろいろと違う選択をしてきました」という事実・現実、がある。母は母の両親の希望したとおりに、彼らの近くに住んで、高齢になってからは同居して、介護して、旅立ちを見送った。今度は自分の番のハズなのに!と思うのも無理はない。




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