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2024年1月23日火曜日

看護師役を意識して母と話す

 世の中には、母・子の関係がすこぶる良くて、お互いにベストフレンドと思っている人もいるようだ。ベストフレンドとまでいかぬとも、大人になってからも、ことあるごとに母親にいろいろと愚痴を聞いてもらったり、助言や癒やしを求める人も少なくないと思う。


私と母は、顔こそとても似ているが(誰か1人くらい、私が父に似ていると言ってくれないものかね〜)、性格がまるで違う。子どものときは、その日その日の出来事を逐一報告していたように思うが、成人してからは、シェアしても今ひとつ関心がないように感じ、あるいは単に心配をかけているだけに思え、まめにいろいろ報告するのは止めた。


父の病気中、そして亡くなったあともしばらくは毎日電話もしくはSkypeで話していた。が、徐々にスペースを開けて、週1−2回まで減らした。open-ended questions で母の興味のありそうなことや、時事や天気など、会話を広げようといろいろ努力するが、広がらない。母はそもそもこちらのことに関心はないから、自分の近況を多少話したところで会話は続かない。


母本人の元々の性格に加えて、加齢による影響で、年々会話はますます低迷してきた。それでも義務感から電話する。最近は、子としてではなく、看護師としての自分を意識して母と話すようになって、自分の気分はいささか良くなった。


看護師としての自分を意識して母親と話す、という技は、同僚の看護師から教わった。ここで言う看護師、というのは別に看護師の技術面というよりは、プロフェッショナルとしての心構えみたいなものだと思う。子としてだとイチイチ瞬間的に腹立ったり、悲しくなったりすることも、看護師としての自分が患者さん(母)と話していると、イチイチ凹むことが少なく、わ続かない会話にも案外耐えられる。


別の友人(クレーン操縦士)は、父親(同じくクレーン操縦士)と話すとき、息子として向き合うんでなく、クレーン操縦士同士として向き合うと喧嘩しない、と言っていた。似た状況だと思う。


ちなみに、私と母は喧嘩しているわけじゃないんだが、重い沈黙と、「帰ってきてください(永久に)」というリクエスト、「私と母さんは人生でいろいろと違う選択をしてきました」という事実・現実、がある。母は母の両親の希望したとおりに、彼らの近くに住んで、高齢になってからは同居して、介護して、旅立ちを見送った。今度は自分の番のハズなのに!と思うのも無理はない。




2020年7月2日木曜日

お変わりないですか

ある日、子芋と とまとまんは、子芋の妹夫婦とインターネットのビデオ通話でお茶会をしていました。

子芋妹の夫:「お変わりないですか~」(当然ながら、彼が意味したのは、"How are you?")
子芋:「おかわり? もうこのパンケーキ、ラスト一枚やけど?」(パンケーキを持ち上げ、見せる)
子芋妹の夫:「????」(キョトンとしたまなざし。返事に困る。)
とまとまん:「子芋、何言っとん?」


とんだ「おかわり」間違いをしでかした子芋でした。とまとまんは、その後1週間、毎晩この会話を思い出しては、大笑いするのでした。

2020年5月25日月曜日

笑わない母をまるごと受け入れる

父が亡くなって、この秋でまる3年になる。父はすこぶるユーモアのある人だった。それと対照的に、母は至極真面目で、彼女からジョークやダジャレの出ることは極めて稀である。そして、電話(通常はHangoutを使用)の会話も、用件のみで、気持ちのシェアリングとか、子芋への関心もあまりない。

そんな中、子芋はopen-ended question(=「はい」や「いいえ」で答えられない質問) で会話を膨らまそうにも、母の「はい」という返答に頭の中が「?」になるわ、会話が一問一答から進展しないことにしばしばストレスを感じるわ、というのが日常である。

先週アプリ Headspaceで紹介されていた以下の一言は響いた。

There is no greater gift we can give another person than allowing them to be who they are, rather than what we might want them to be. 
(子芋訳: 人に贈ることができる最大のギフトは、人にこうあってほしい、という自分の気持ちは置いといて、その人をそのまんま受け入れることである。)

ユーモアのない、用件主導の電話が、いわば母のお好みのスタイルなんや、と思うと、気が楽。

2019年12月5日木曜日

祖母の人生卒業

3週間前、祖母が90歳代で旅立った。子芋は体調不良で帰国がかなわず、祖父あてに電報を送った。電報といっても、KDDIのウェブサイトからオンラインで注文できる。さすがに電報とあって(?)、配達はすみやか。その日のうちに届いたようだ。

親戚には回し読みされるかな、とは思っていたが、告別式で音読されるとは予想していなかった。知らされたときにはもう後の祭り。電報にはプライバシーがないということをよく覚えておこう。

祖母は非常に心配症の人で、子芋のことを考えると夜も眠れないとか、悪夢で目が覚めた、とよく文句を言われた。高校時代に留学を希望したときは、祖父と母と3人グループで猛反対だった。それにもめげず、留学し、帰ってきたときには、なんだか周りの人に「留学してた孫です~」などと自慢げに言うので、なんだそりゃー、と思った。

「人生は永久就職が大事」(=結婚)が口癖で、子どもながらに「離婚して幸せな人、結婚歴なくて幸せなひともいるのに。」と反抗したが、今となっては、そのぐらい結婚を人にすすめたいくらい、祖母自身幸せに思っていたのだろう、と思うことにしている。

娘3人は成人後もみな市内に住み、孫もみな近くに配置しておきたいという希望があったようだが、子芋と子芋妹に関しては、あいにく願い叶わず。

と書いていると、子芋は祖母に対して、かなり反抗的な孫だったように見受けられるかもしれないが、それは当たり。子芋と祖母が意気投合できるのは歌だった。女学校時代、よく歌を歌ったとのことだった。老人ホームので過ごした晩年も、荒城の月などを隣で歌えば、一緒に乗ってきた。どこにその声が眠っていたの?と周りの人が驚いた。

Giving Tuesday (感謝祭のあとの最初の火曜日で、寄付行為が奨励されている)だったこの火曜日、In Memory of XXX XXXX(祖母の名前) というメッセージをそえて、Belle Voci of Pittsburgh  (子芋所属のコーラス)に寄付した。


2018年9月15日土曜日

父の人生完走から1年

今日で父が人生を完走してからちょうど1年だ。なにかと思うことが多い。
今思っても、本当に完走という言葉がぴったりだったと思う。

妹夫婦がこの夏、父のいとこや大学時代の先輩を訪ねる旅をして、そこから聞く父の話や当時の写真がとても愉快でよい。

体調崩してから水頭症、そして緊急手術に至るまでの約3週間の間に、父の声が聞きたかったなぁ、と残念な気持ちは残るけど、留守番電話の挨拶メッセージがあるし、それ以上に快活な思い出が山とあるので、最近はそういう、「あるもの」に感謝。


2018年1月13日土曜日

FMLAの書類に苦労した話

9月に父が亡くなって、その前後に溜めた職場のメールには何とか追いついたが、個人メールのほうは、追いつくどころかむしろ状況悪化傾向のまま、2018年に突入。

それでもこのところ、すこーしずつ遡って見ていっている。そんななか、下記のメールが出てきた。
病院の事務局に、FMLAこと、育児介護休業法に関する書類を依頼したのだが、病棟医も脳外科医も難色を示したとかで断られた。病棟医と直接話しても、別に家族が家で介護してるのでもなし、などと埒が明かず、再度事務局にメールした時のもの。ちなみに、その医師は、「何かで訴えられたら困りますから。」とも言っていた。子芋にはまったく理解不能だった。「何か」って何さ??

もしかしたら、世界のどこかで私と同じような状況の人がいるかもしれないと思い、参考までにコピペします。


ーーーー

このたびは、診断書の件でご尽力賜りまして、大変ありがとうございます。

米国労働省のこちらの資料がお役に立つと思い、お送りいたします。

このページより、一部を訳します

The FMLA allows leave for an eligible employee when the employee is needed to care for certain qualifying family members (child, spouse or parent) with a serious health condition. 育児介護休業法は、従業員が重篤な健康状態にある子ども、配偶者、親といった家族の面倒をみる必要があるときに休みを取ることを許可するものです。
  • "Needed to care for" encompasses both physical and psychological care. It includes, for example:面倒をみる必要がある、の内容には身体的なケアおよび心理的なケアを含みます。たとえば
    • Providing care for a qualifying family member who, because of a serious health condition, is unable to care for his or her own basic medical, hygienic, nutritional or safety needs, or is unable to transport himself or herself to the doctor, etc.; (医学、衛生、栄養、安全のニーズ)
    • Providing psychological comfort and reassurance that would be beneficial to a child, spouse or parent with a serious health condition who is receiving inpatient or home care 重篤な健康状態のため入院または自宅でケアを受けている子ども、配偶者、親にとって有益となるような慰めや安心を与えること。

父は治療困難な病気と戦ってまいりました。全身的にも衰弱してきた状況を踏まえ、また医師の助言も踏まえ、私たち家族は父自らの生きる力を尊重し、その流れに逆らう治療はやめて、父自らの命の力を見守るという判断をくだしました。まもなく命を全うする父のそばにいて、父の好んだ歌を歌い、手足をマッサージし、楽しい思い出話をし、辛そうであれば使える痛み止めががないかと医療チームに相談し、そうして少しでも安楽にこの人生を卒業できるようにサポートし続けるのが私たち家族の仕事です。これが心理ケアでないとしたら、何が心理ケアでしょうか。助けてください。

お願いしておりますのは、父が重篤な状態にあるのだということをご証明いただくことです。

重ね重ね、よろしくお願い申し上げます。

ーーー
幸い、このメールを送った後、書類を書いてもらうことができた。事務局の担当者は人間の心があるかんじの方だったので、医師たちと子芋との板挟みになって、さぞ大変だったろう。

2017年11月18日土曜日

死ぬときは、誰でも、血圧が下がりますよね

妊娠中の経過やお産の経過というのは、正常であっても、ものすごく劇的な変化があるものだ。そして、変化を前に、人は不安になる。当然だ。未経験のことだから。

助産師として働いていた時、これから迎えようとする変化がどういうものであるのかをあらかじめ説明したり、刻々とすすむ変化をそばで見守るのが大きな仕事であった。正常な変化については、「順調です、これでいいんですよ。」と伝え、異常な変化については、初期の段階で見つけて大きな問題にならないように先手を打つ。そして、正常以上にかかわらず、変化&新しい経験に伴う気持ちの揺れも丸ごと受け止める。

ナースプラクティショナーとしても、この基本的姿勢はまったく一緒だ。病状あるいは回復の経過について予測されることを伝えたり、経過が予想通りであるかを見守ったり、思い通りにならないフラストレーションを聞いたり。たとえば、思春期や更年期の変化、風邪と風邪以上の変化、など。

父の死期が迫ってきたとき、こういうガイダンス、(小児科でいえばanticipatory guidance も入るね)を上手にやってくれる人が医療チームにいたらよかった。

脳神経外科医は、この心がある人だったが、非常勤だったので、滅多に会えなかった。

病棟医やナースたちは、血圧が下がることを何よりも恐れているようで、たとえ血圧が下がろうとも苦痛を最小限に、という子芋の希望とは相いれなかった。

「最期はだれでも血圧が下がりますよね。」と子芋が医療チームに訴えてもなお、
ボルタレン坐薬の増量やフェンタニルパッチの増量も拒まれた。
3日使用のフェンタニルパッチの増量に関しては、「明日の張替えのときに、増量しましょう。」と。子芋は「今日」の話をしてて、父に明日はないかもしれないのに。(そして実際その日に亡くなった。)

ともすると、おろおろとしがちな家族のまえで、子芋が、
「お父さんは順調よ。」
父に対しても、「お父さん、大丈夫だよー」「それでいいよー」
と言い続けるのは、正しいことを言っていると思っていても
医療チームと反対のことを言っているので辛かった。

お産と違って、「順調な」死への経過は、決して見ていて心地の良いものではないけれど、そこになお存在する 「正常なプロセス」を 一緒に並走してくれる医療者がいたら、心強かったと思う。

もう測れなくなってきた血圧を、一生懸命測ろうとしてくれたナースたち。申し訳なさそうに、もう測れません、と言ってくれた。
「血圧測定卒業!」というのも変だが、
命がその段階にきたことに対する対応の仕方は、違う方法があったんではないかなぁ。

一人だけ、私たち家族の気持ち・希望というものに一歩踏み込んで向き合ってくれたナースがいた。子芋はこの人のおかげで頑張れた。



2017年11月17日金曜日

年末年始計画

年末年始、とまとまんと子芋が帰国する代わりに、母がピッツバーグに来るのはどうか、と誘ってみた。妹は、「あ、じゃぁ、私も行こうかな。」と乗り気だったが、母は「今回はいい。」というので、子芋も「そうか、じゃ、私も今回は帰らんよ。」と言った。

言ってから、あらま、言っちゃったーと、自分でもびっくりした。

母は、同居の祖父、施設にいる祖母のことが気になって、ピッツバーグ行き、という気になれないんだと思う。一方、子芋は、この1年3回帰国して、とくに一番最近の帰国時の経験からまだまだ癒えてない。この年末に帰ることは母のためにはなるかもしれないけど、自身の恢復のためにはならないと判断。

毎月手伝いに行っている妹夫婦には申し訳ないが、しばらくは自分の酸素マスクとサヴァイヴァルを頑張る。

2017年11月16日木曜日

父が亡くなったことに関する、周りの人々の反応の違い

父が亡くなったことに関して、

日本でよく言われたこと:

  • ご愁傷さまです。(決まり文句ではあるのは知っているけど、とても距離を感じた。)
  • これからどうするの? (まずは悲しみます。でも質問者の言外の意図を感じて、プレッシャーを覚える。)
  • いつ帰ってくるの? (さらにプレッシャーを覚える。)
  • お母さんをしっかり支えてね。(支えてないかな? まるでこの世には妹と子芋との2匹しか残っていないかのようなプレッシャーを覚える。)



アメリカでよく言われること:

  • I'm sorry for your loss.
  • Your dad will always be with you. 
  • Take him with you in your daily life. 
  • He will always live on in you.
  • How's your mom doing? How are YOU doing?




通夜や葬儀で出会った人々は、両親とゆかりの強い方々で、一方、アメリカにいる私の周りの人たちは、私の両親に会ったことのない人が圧倒的に多いので、それも必然的にコメントに影響したとは思う。


日本では、人々のコメントは、夫を亡くした母を思いやる言葉がとても多かった。
妹と私が母を支える役目、というニュアンスのコメントが多く、「私も父を亡くしたんですけど!」と思ったよ。言えなかったけどね。

2017年11月15日水曜日

母との電話の回数を減らす

父が約1年前に体調を崩して入院して以来、朝晩母と話す(主にHangoutかSkype、ときどき電話)のが習わしとなっていた。父が亡くなって、葬儀や当座の手続きを終えてピッツバーグに戻ったあとも、この習わしはずっと続いていた。

母にとって、今日これからの予定や、今日一日の報告を子芋に話すことが気持ちの支えとなっているのがよくわかるので、この習慣を続けてきたのだけど、やはり日に日に2回というのは結構大変で、しかもそれにプラスアルファで母から抜き打ちでかかってくることもあり、これが子芋にとって次第に辛くなってきた。

なので、緊急の用事でなければ、話すのは1日1回にしてもらうことにした。

なるべく、妹と3人でのグループ通話にして、話題が豊富かつ楽しくなるように心掛ける。


2017年10月6日金曜日

じっくり悲しむとき

今回の帰国中、病院での付き添い、医療スタッフとの戦い、葬儀・通夜の準備、それらの本番、市役所や年金事務所の手続き、金融機関の手続き、位牌や仏壇の注文、などなど、とにかく最初から最後まで「やること」がいっぱいあって、自分ケアをする時間はなかなか取れなかった。

かろうじて、
母があきらめた後の朝日新聞土曜版の数独をしたり、
2回ほどマッサージに行ったり、
病院から図書館やコンビニまで散歩したり。(でもその間も休み切れていなかった。)

ピッツバーグに帰ってきて、
友達にご飯をごちそうになり、
私のヒストリーをよく知ったセラピストのところに行き、
鍼を再開する。

と同時に、さしあたりは、郵便物の整理、いろいろな支払いの確認。1か月家にいないと、かなりいろいろたまるもんだ。

7月に引っ越して、家賃が上がったのに、銀行から大家さんに自動的に家賃を送る額の設定が正しく設定されてなくて(していたつもりだったが)、払い足りなかった!
慌てて差額を送った。

こういう作業をしながら、悲しい気持ちをいたわり、ゆっくり心と体をほぐしていこうと思っている。

2017年10月1日日曜日

父の旅立ち:近所の人からの花束とカード


10か月にわたる闘病を経て、父が先月旅立った。このことは遡って追々書いていきたいと思っているが、父の人生のラスト2週間半を、母・妹・私がみんな一緒に過ごせたのは、すごくよかった。

旅立ちのあとは、通夜・葬儀の準備と本番、そのあとは、さまざまな書類の山との格闘、とやることが目白押しだったので、家に帰ってきたこれからが、やっとさめざめと悲しめるときである。

今日は近所の人が、花束とカードを持ってきてくれた。花束はとても大きくて、結局3つの花瓶に分けて入れた。セイタカアワダチソウやケイトウが入っていたりして、なかなかおもしろい秋の彩りである。ファーマーズマーケットで買ってきてくれたらしい。

近所の人たちは、子芋ととまとまんが不在の間、郵便を適宜チェックしたり、家のトマトやネギたち(バケツ栽培)に水をやったりしてくれていた。ありがたい。おかげで、帰ってきたら、9月も終わりだというのに、まだトマトがたわわに実っていて、おいしく食べた。


2017年2月11日土曜日

新しい恋人、母さん

子芋の両親にとって、従来、電話はあくまで要件を伝えるためのデバイスであって、おしゃべりをするデバイスではなかった。

なので、子芋が週末に電話なりSkypeなりしても、あまりたくさん語らなかった。というか、「子芋が電話してきた」という事実が彼らにとって一番重要なことのようで、今週どうだったとか、今何に凝っているかとか、詳しいことにはあまり興味がなさそうであった。

子芋としては、両親の近況をもっと知りたかったので、Open-ended questions をさかんに投げかかたんだが、最小限の答えだけが返ってくることも少なくなかった。子芋としては残念だったが、別に両親は子芋を困らせようとしているわけでもない、ということもわかるので、まぁ、しゃぁないか、と思っていた。

父が急に病気になって、そこからあっという間に水頭症まで行ってしまい、緊急手術から回復した後も話ができなくなってしまって、かれこれ3か月。

その間に、以前ならiPadは父におまかせ~状態だった母も、FaceTimeやHangoutが使えるようになった。今では、ほぼ毎朝毎晩話している。前は、こちらが盛んにかける、というパターンがだったが、最近は母のほうからかかってくるようになったのがうれしい。日々の出来事・感想・気持ちをシェアして、母のことが今までよりもっとわかるようになったのもうれしい。新しい恋人みたい。

妹と母、子芋と妹も頻繁に話している。妹は父に似て、とても楽しい人なので、本当に癒される。顔見て話せるのは本当に幸せだ。遠距離夫婦時代もそうだったが、Skype、FaceTime、Hangoutなどのインターネットベースのサービスに感謝感謝の毎日だ。

別に海を越えての距離でなくとも、病院に入院中の人と家族・恋人・友人には同じように「会えない、話せない辛さ」があるわけなので、病院内のWiFiはぜひ普通の設備として備えてほしいなと思う。

2017年1月31日火曜日

気管切開という選択

父は、たぶんこちらが思っている以上にこちらの言うことは相当わかっているのだが、首をたてよこに振る以外、思っていることを声や文字を通してこちらに伝えることが困難なため、家族が代わりにいろいろな意思決定をしなくてならない。

今日は父の気管切開が無事終わり、本当によかった。気管切開するかしないかということを、帰国中、家族と非常に悩んだが、蘇生という観点からではなく、「今」少しでも呼吸と痰のケアが楽になるようにという観点から、気管切開を選んだ。

父がこれをどう受け止めたか、確かめようがないが、尋ねたいところだ。

2017年1月29日日曜日

入国審査のあとの物々しい雰囲気

シカゴ空港で入国審査・税関を終えて扉を出たら、プラカードを持った人が大勢いて(「弁護士がご入用ですか?」などと書いてある)、メディアっぽい人たちもたくさんいて、変な雰囲気だった。

日本に帰国していた一週間、テレビも新聞もインターネットすらもろくに見ていなかったら、トランプ大統領がシリアやイランなど7か国の国民の入国を禁じたことも知らなかったんだが、後から考えるとその関連の騒ぎだったのだと思う。

子芋は幸い、突然の強制送還に遭うこともなく、スムーズな乗り継ぎでピッツバーグまで帰ることができて幸いであった。もし自分が対象7か国の国民だったりしたら、こうは行かなかったのだと思うと、やるせない。

2017年1月28日土曜日

年休を買うという制度

今勤めている病院では、休暇を1年につき1週間分まで購入できるという制度がある。価格は自分の給料に応じた額である。(例えば1週間分購入するときは、自分の1週間分の給料を支払う。)

日本への往復をやっていると、1週間なんてあっという間なのだが、今回の帰国はこれでちょうど賄えた計算。

今残る休暇時間はあと7-8日分のみなので、来週からまた頑張って働く。年休は働いた時間に応じて、2週間ごとに加算されていく。(最初にドバっとはもらえない。)手持ちの休みを使い切ってしまう状態になった場合は、無給の休みを申請する。

自分や家族の病気などで休む場合は、別の形で休みを申請する制度があるが、1000時間だったか1年だったかその組織で働いた履歴がないと、この制度には応募できない。

2017年1月27日金曜日

大事な情報を家族で共有するということ

父が病気になって、今まで父がひとりで担当していた家のなかの細かいことがたくさんあることが分かった。特に、母はIT系は今までiPadすらまともに触っていなかったので、父の不在をバックアップするのはとても大変である。

子芋も子芋の妹も、父のパソコンのパスワードを忘れていたが、とまとまんが覚えていてくれて助かった。


父が使っていたiPadで父に来ているメールが確認できるので、重要そうなメールは、子芋や妹が代理で返信。(4ケタのiPadパスワードを知っていてよかった。)


どこにどの仕事の書類があるか、とかいうことになると、なかなか大変。というか、お手上げ。


リビングウィルのようなものはついに見つからず。


教訓:

  • いざというときのために、重要書類の保管場所、パスワード(もしくはその在り処)など信頼できる人と共有すべし。

  • 電子的に管理している書類に関しても、場合によっては共有フォルダでシェアするなど、自分が開けられなくても信頼できる誰かが見られる仕組みを作るべし。
  • リビングウィル、遺書はじめ、自分の好き嫌いや判断の優先順位などは、普段から家族などに公言しておくべし。


2017年1月26日木曜日

イチゴのさしいれ

子芋が小さいときから家族ぐるみで付き合いのあるFさんが、ちょうど子芋が帰省中にイチゴを差し入れに来てくださった。入院中の父や、父を支える母のことをとても心配してくださっているとのこと。

米国の、ただただ大きいがちっとも甘くないイチゴを食べなれている子芋にとって、Fさんのイチゴは、世にこんなおいしいイチゴがあったのか、と思うほどのおいしさであった。

Fさんのように、子芋の家族をよく知っていて、近くで見守ってくださる方々の存在が本当にありがたい。

2017年1月25日水曜日

かかりつけ医について一考

今回父が入院、転院、再転院、という経過をたどる中で、いつものかかりつけ医が入院先や転院先の医師と我々家族(特に母)の間に立って、説明(専門用語から普通のことばに翻訳)や相談に乗ってくれたら、もっとよかったのになーと思う。父にはかかりつけ医がいるけど、入院したあとはすっかり入院先の医師の担当だけになってしまい、かかりつけ医と入院先の医師がコンタクトを取ったことはたぶんなかった。(おそらくそれが普通の対応なんだと思う。)

もちろん、病院から退院して、これからはかかりつけ医が担当、という状態になった場合は、連絡を密にするのだろうが、必ずしもそうでない場合(自宅には帰れないとか)でも、かかりつけ医と要所要所でつながっていられたら、きっともっと心強いと思う。

2017年1月23日月曜日

病院のつれない対応

日本に帰国するたび、ありとあらゆるところのサービスや気遣いが丁寧で感動する。

レジでちょっとでも並んでいたら、手の空いている店員が小走りで駆けつけて別のレジをすぐ開けてくれたり、全然待っていなくても「お待たせしました!」と言ってくれたり、お店やビジネスに電話しても大概すぐに人が電話に出て(アメリカだと出鼻は自動音声対応が少なくない)くれるし、もうなんて便利な国だ、と再確認するのが毎度のことである。

けれども、医療に関しては、このパターンがなぜか見られないことも珍しくないということを、身をもって体験中。

例1)面会時間の制限。某病院がインフルエンザ対策と称して、病院全体の面会時間を17時から19時の2時間に縮小したのには憤りを感じたが、それがのちに面会そのものを禁じたことには、言葉も出なかった。

例2)病院に患者や家族が使えるWiFiが整備されていない。もし個人もちのWiFiがあっても、SkypeやFafeTimeができるのは、ロビーとかまでいけるぐらい元気な人たちだけ。

例3)入院中の患者やその家族に経過の説明が非常に少ない。某病院では1か月あまりの入院中、初期と退院間際にはまとまった説明があったが、その間の日々、また一週間単位でのアップデートがほしかった。

例4)医療関係者は父の治療はもちろん熱心にしてくれるが、母はじめ家族には関心がない(世間話でリラックスさせるとか、調子を聞くとかいうこともない)ように思われる。

例5)病院にもよるが、3人部屋、4人部屋、6人部屋など、相部屋が基本で、希望しても個室にとても入りにくい。

例6)もちろん個人差もあるが、患者や家族に対する言葉の使い方が偉そうな医療関係者が少なくない。様づけはむしろしなくていいから、基本的な言葉の使い方が改善できるのにな、と思う。

なんだか不満ばっかりになってしまったが、本当のところは、ひとりひとりの医師や看護師や看護助手たちは、必死に、可能なかぎりのベストを尽くしている。人間誰だって厳しい環境のなかで目いっぱい働いていると、優しさも気配りも使い切ってしまう。働く人にもっともっと優しさと気配りが注がれると、それがまわりまわって患者にも家族にも注がれるようになると思う。