2024年5月7日火曜日

つかみどころのない学生への対応

 大体年に数人のNP学生のプリセプター(臨床指導者)を勤めている。ときには同じセメスターの前半と後半に1人ずつ、ということもあるけれど、とまとまんとの生活を良好に保つためには、1セメスターに1人に限っておいたほうがよい。

年齢の差、属するジェネレーションの差、性格のちがい、いろいろあるけども、小芋がとても助かるのは、

  • 分かっていること、いないことをざっくばらんに言ってくれる学生
  • 何が怖いか、不安か、教えてくれる学生
  • やったことある、ないをはっきり言ってくれる学生

逆に、思っていること感じていることをシェアするのを控える学生、不安や恐怖をまったく表情に出さない学生、はとても難しいと感じる。知らないこと・できないことがあって当然なので、知らなくてもできなくても「もともと」なのだが、何がカンファタブルで、なにがカンファタブルじゃないかが見えないと、サポートのとっかかりを探すのにとても苦労する。

カルテの記載をみて、あー、ここ分かってたんだな、とか、ここ分かってなさそう、と読み取れることもある一方、学生によっては、カルテの記載を見てもなお、小芋は今ひとつ学生の理解度を把握しかねることも。。。

患者さんの前では、大いに自信を持った姿で臨んでくれてOK。でも、舞台裏でディスカッションしているときには、プリセプターと腹を割って話してほしい。と、学生に直接言っただけで、学生が変わるんだったらどんなに楽か。

実際はそういかないので、プログラムの先生にコンタクトして、

「えーと、今回のAさんと話していて、どうも私うまくサポートできてない感じがするんですけど、授業や他の実習ではどうでしたか」と聞いてみたり、

別の実習先のプリセプターに電話して、どうしてますか?と尋ねたり。

中間評価、学期末評価まで待たず、随時なんかうまく行ってないぞ、と思った時点で先生にコンタクトしてアドバイスを求めるのが得策のよう。


2024年1月23日火曜日

看護師役を意識して母と話す

 世の中には、母・子の関係がすこぶる良くて、お互いにベストフレンドと思っている人もいるようだ。ベストフレンドとまでいかぬとも、大人になってからも、ことあるごとに母親にいろいろと愚痴を聞いてもらったり、助言や癒やしを求める人も少なくないと思う。


私と母は、顔こそとても似ているが(誰か1人くらい、私が父に似ていると言ってくれないものかね〜)、性格がまるで違う。子どものときは、その日その日の出来事を逐一報告していたように思うが、成人してからは、シェアしても今ひとつ関心がないように感じ、あるいは単に心配をかけているだけに思え、まめにいろいろ報告するのは止めた。


父の病気中、そして亡くなったあともしばらくは毎日電話もしくはSkypeで話していた。が、徐々にスペースを開けて、週1−2回まで減らした。open-ended questions で母の興味のありそうなことや、時事や天気など、会話を広げようといろいろ努力するが、広がらない。母はそもそもこちらのことに関心はないから、自分の近況を多少話したところで会話は続かない。


母本人の元々の性格に加えて、加齢による影響で、年々会話はますます低迷してきた。それでも義務感から電話する。最近は、子としてではなく、看護師としての自分を意識して母と話すようになって、自分の気分はいささか良くなった。


看護師としての自分を意識して母親と話す、という技は、同僚の看護師から教わった。ここで言う看護師、というのは別に看護師の技術面というよりは、プロフェッショナルとしての心構えみたいなものだと思う。子としてだとイチイチ瞬間的に腹立ったり、悲しくなったりすることも、看護師としての自分が患者さん(母)と話していると、イチイチ凹むことが少なく、わ続かない会話にも案外耐えられる。


別の友人(クレーン操縦士)は、父親(同じくクレーン操縦士)と話すとき、息子として向き合うんでなく、クレーン操縦士同士として向き合うと喧嘩しない、と言っていた。似た状況だと思う。


ちなみに、私と母は喧嘩しているわけじゃないんだが、重い沈黙と、「帰ってきてください(永久に)」というリクエスト、「私と母さんは人生でいろいろと違う選択をしてきました」という事実・現実、がある。母は母の両親の希望したとおりに、彼らの近くに住んで、高齢になってからは同居して、介護して、旅立ちを見送った。今度は自分の番のハズなのに!と思うのも無理はない。




2024年1月22日月曜日

同僚の旅立ち

80歳代まで仕事をしていた同僚のGさんが亡くなった、とのEmailが入った。 Gさんが退職してからまだ1年ちょっとしかたっていない。生涯現役の方であった。 事務の仕事というのはとてもストレスが高いと見えて、スタッフの入れ替わりが珍しくないなか、 Gさんはいつもニコニコしていて、肩の力が抜けていて、挨拶を交わすだけでも なんだかこちらはリラックスするのだった。 電話口でGさんと話す機会があった患者さんや患者さんの家族も、Gさんの落ち着いて柔らかな話しぶりに どんなにか心が楽になったことと思う。 そして、電子カルテのシステムが変わったり、いろいろと技術面で普通の人がサジを投げそうになる 変化が訪れても(たとえ若くても)、Gさんはひょいひょいと新しいことを次々と覚えるのだった。 元気だから仕事が80歳代まで続けられたとも言えるし、仕事してたから元気が続いた面もあったかと思う。 昨秋にGさん宅を訪ねたのが最後に会う機会だった。 Gさん、本当にお世話になりました。いろいろと愚痴を聞いてくださり、ありがとうございました。