2017年11月18日土曜日

死ぬときは、誰でも、血圧が下がりますよね

妊娠中の経過やお産の経過というのは、正常であっても、ものすごく劇的な変化があるものだ。そして、変化を前に、人は不安になる。当然だ。未経験のことだから。

助産師として働いていた時、これから迎えようとする変化がどういうものであるのかをあらかじめ説明したり、刻々とすすむ変化をそばで見守るのが大きな仕事であった。正常な変化については、「順調です、これでいいんですよ。」と伝え、異常な変化については、初期の段階で見つけて大きな問題にならないように先手を打つ。そして、正常以上にかかわらず、変化&新しい経験に伴う気持ちの揺れも丸ごと受け止める。

ナースプラクティショナーとしても、この基本的姿勢はまったく一緒だ。病状あるいは回復の経過について予測されることを伝えたり、経過が予想通りであるかを見守ったり、思い通りにならないフラストレーションを聞いたり。たとえば、思春期や更年期の変化、風邪と風邪以上の変化、など。

父の死期が迫ってきたとき、こういうガイダンス、(小児科でいえばanticipatory guidance も入るね)を上手にやってくれる人が医療チームにいたらよかった。

脳神経外科医は、この心がある人だったが、非常勤だったので、滅多に会えなかった。

病棟医やナースたちは、血圧が下がることを何よりも恐れているようで、たとえ血圧が下がろうとも苦痛を最小限に、という子芋の希望とは相いれなかった。

「最期はだれでも血圧が下がりますよね。」と子芋が医療チームに訴えてもなお、
ボルタレン坐薬の増量やフェンタニルパッチの増量も拒まれた。
3日使用のフェンタニルパッチの増量に関しては、「明日の張替えのときに、増量しましょう。」と。子芋は「今日」の話をしてて、父に明日はないかもしれないのに。(そして実際その日に亡くなった。)

ともすると、おろおろとしがちな家族のまえで、子芋が、
「お父さんは順調よ。」
父に対しても、「お父さん、大丈夫だよー」「それでいいよー」
と言い続けるのは、正しいことを言っていると思っていても
医療チームと反対のことを言っているので辛かった。

お産と違って、「順調な」死への経過は、決して見ていて心地の良いものではないけれど、そこになお存在する 「正常なプロセス」を 一緒に並走してくれる医療者がいたら、心強かったと思う。

もう測れなくなってきた血圧を、一生懸命測ろうとしてくれたナースたち。申し訳なさそうに、もう測れません、と言ってくれた。
「血圧測定卒業!」というのも変だが、
命がその段階にきたことに対する対応の仕方は、違う方法があったんではないかなぁ。

一人だけ、私たち家族の気持ち・希望というものに一歩踏み込んで向き合ってくれたナースがいた。子芋はこの人のおかげで頑張れた。



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