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2012年11月8日木曜日

日米の高校生による絆プロジェクト

ピッツバーグ市内の高校と茨城県日立市の高校の生徒たちが、彼らの交流プログラムの報告会を開いてくれた。このプログラムは「キズナ強化プロジェクト」と呼ばれ、アジア太平洋・北米地域から若者を日本に10日ほど招きし、また日本の震災被災地の若者を世界に派遣する事業だそうだ。

 詳しくはこちら
http://sv2.jice.org/kizuna/e/what/about/
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/kizuna_project.html

ピッツバーグの生徒20数人は夏に日本を訪問していて、日立の生徒24人がいまピッツバーグを訪れている。滞在中は、それぞれホストファミリーのところに宿泊。

ピッツバーグの生徒さんたちは日本滞在中に、茨城県知事、港の漁師さんらとも会ってきたとのこと。またボランティア活動として、街に花を植えていた。

日立の生徒さんたちは主に震災とその後の様子を発表してくれた。私はもともと茨城県の出身なので、日立の震災の写真を見るのはとても辛かった。とくに、崩れ落ちた体育館の写真。北茨城市の五浦六角堂が津波で流されて跡形もなくなり、でもその後寄付で再建されたとの報告も。

ピッツバーグの和太鼓グループの演奏がとてもすばらしかった。日米協会のスタッフによる、ゆかた着付けコーナーもにぎわっていた。(ゆかたの生地の質がとてもよく、感心した。)

高校生同士の交流は、体験する本人にとってはもちろん、その周りの家族、友達、そして今日の私のように報告を聞くだけの立場の「街の人」にとっても、ものすごくインパクトがある。というか、私も16年前は、ミシガン州に行った交換留学生であった。国家防衛費のほんの一部でも高校生交流事業に回して、今以上に交流事業を活発にしたら、戦争はなくなるとかなり真剣に思う。

2011年6月2日木曜日

被災地に行った医師の報告会

ピッツバーグでは約2週間前の土曜日に、震災被災地に行った日本人医師4人による報告会&座談会がありました。ピッツバーグ周辺に住む約35人の一般日本人が参加しました。(加えて子どもが10人来て、ベビーシッターが3人では足りないくらい。)それぞれ違う組織を通して、別の地域(被災地といっても広い)に、かつ少しずつ違う時期に被災地に入った各氏から、それぞれの形の報告を聞くことができました。

早くも震災発生後4日後くらいに被災地に入っていた医師からは、まだまだ医療物資が不足していて医療としての活動は十分できなかったと。でもそんな中、ハーシーのチョコレートが思いのほか大人にも子どもにも喜ばれ、魔法の薬と思えるくらいに重宝したそうです。(ペンシルバニアに住むものとして、何だか嬉しくなる報告。)その後に行った医師たちは医療物資が少しずつ整ってきた中で活動されていた様子でした。震災後1ヶ月前後行った医師は、電柱がものすごい勢いで建っていっているようすをみて、復興の力を感じて胸いっぱいになったと語ってくれました。

また、ピッツバーグにいながらにして、さまざまな方法(チャリティーコンサート、ベークセール、大学内での募金活動など)で活発に活動してきた人たちの紹介や意見交換も自然なかたちで進んで、いろいろな人のいろいろな思いが共有できる場になりました。笑いあり涙ありの2時間強。

一般市民として何ができるか、という話では、
今までの自分の生活の見直し(例:節電)とともに、経済活動をしっかり行うということが大事である、というコメントが私にとってとても印象に残りました。これらは募金や医療・物資支援がひと段落したあともずっと大事だなー、と私は思いました。

昼の12時を回って、子どもたちが待ちきれなくなる中、座談会は打ち切りになってしまったのですが、もし時間があったら、私は香山リカのコラムを紹介したいと思っていました。これは毎日新聞の連載なのですが、震災発生後から10回にわたり震災ネタが続いていました。毎週このコラムを読んでいて、私は気持ち的にとても助けられました。もしよかったら、ごらんください。

2011年5月10日火曜日

音大生によるコンサート

ピッツバーグで学ぶ音大生有志によるチャリティーコンサートが今晩あった。母国アルメニアで大地震を経験したことのあるピアニストが奏でるアルメニアン・ダンスの音楽、ビオラとフルートのデュオ、トロンボーンとギターで聴く童神など。

まだ時差ぼけが残っているもんで、美しい音楽を聞きながら頭がカクンカクンと揺れてしまい演奏者に申し訳なかった。最後の曲は「となりのトトロ」をピアノ、トロンボーン3本にチューバの計5人による演奏だった。ゾクゾクした。

集まった募金はアメリカ赤十字を通して、日本の被災地に送られる。

2011年5月9日月曜日

a visit to 実家

ごぶさた。ゴールデンウィーク、1週間日本に行ってきた。東北地方の被災地ではなく、たんに家族として水戸へ。

水戸の被害は、東北地方に比べたらずっとずっと軽症。それでも地震の爪あとはそこかしこにあった。同時に、地震から1ヶ月半で急速に修理や対策が行われてきた一端もたくさん見た。地震でできた段差や亀裂で通行止めになっていた道路は、かなり修理が済んで通れるようになっていた。急いで直すほどでもない凸凹はまだあちこちにある。駅前の歩道橋でもまだ通れないところもある。常磐線は早くもスーパーひたちが走れるようになっていた。ぐにゃぐちゃに曲がった線路を直していった方々の奮闘を思うと頭が上がらない。地震後閉鎖されていたという偕楽園(梅で有名)は29日から部分的に開園していたが、隣の常盤神社の燈篭はまだ派手に転がっていた。一般の墓地でも、墓石が無残にもあちこち転がったまま。(まだみんな自分の家や職場のことで忙しいのだとおもう) 

外見的には一見無傷にみえる両親の家、実は屋根瓦をテープで止めて固定していたり、内装の亀裂・剥がれなどがそこここに。旧事務所兼自宅で鉄筋コンクリート作りの祖父母宅は、外装がごっそり落下して、鉄骨がむき出しになったり、窓ガラスが落ちたり、より派手な被害だった。この建物は今日から取り壊しが始まっている。

被害や不便なことを挙げたらきりがないが、とにかく家族が無事で感謝。母が地震後まもなく市からもらったという毛布は、難燃性のとても立派なものだった。父が出張中のなかでの震災で、連絡もなかなかとりあえず本当に大変だったと思う。

アメリカにいる私がインターネットでNHKニュースをみて、被害の大きさに言葉を失っていたとき、水戸では停電が幸いして、ひたすらラジオを聴く生活だった。随分たってから映像で津波の様子などを見て、より怖い思いをしたようだ。目の前の被害への対応だけで十分大変だったから、テレビが見られなかったのはむしろよかったろう。

本当は、片付けや祖父母の引越し作業でいちばん人手がいるときに行けたらよかったと思う。もう急ぐ作業はみんな終わっていた。地震のときごっそり棚や本棚から飛び出てきた私の古い本やノートは、両親がとりあえず機械的に棚に戻しておいてくれていたが、この機会にわんさか処分してきた。幼稚園の入園式でもらったカード、小学校1年生の「連絡帳」、大学入試センター試験の問題、模試の結果(なんでこんなのとっておいたのと、自分に怒り)やら。すべてとまとまんに見られてしまった。幼稚園時分の妹と小学生の私が出張先の父宛に書いた手紙には、お腹の皮がよじれるほど大笑いした。

今回の滞在は水戸のみで、四国の自宅やとまとまんの実家に行くのは次回までお預けだったけど、とまとまんが成田で迎え・見送りしてくれたというところがなんともぜいたくであった。私が美容院に行っていた時間以外、とまとまんとは1週間まるまる一緒に過ごせた。帰りの飛行機の中では、行きにも聞いた落語、立川志の輔さんの『買い物ブギ』をもう一回聞いて笑ってみたりした。

2011年4月25日月曜日

異常な状況にたいする、正常な反応

被災地にいる人、被災地に支援のため駆けつけている人の比ではないにしても、遠くにいながら気分的に落ち込みがちな人は少なくないんじゃないだろうか。眠れなかったり、逆に眠かったり、食欲が落ちたり、過食になったり、引きこもりがちになったり、など人によって症状こそ違うだろうけど。

NPの友人が、normal responses to an abnormal situation という言葉を教えてくれた。文字通り、「異常な状況にたいする、正常な反応」ということ。事が事だけに、体や気持ちが反応を示してむしろ当然だというわけだ。このように状況を命名してもらうと、それだけで少しすっきりするというか、ほっとする気がした。

先の友人が教えてくれたCDCのサイトにピラミッドの絵がある。
http://www.bt.cdc.gov/mentalhealth/primer.asp
被害を一番に受けた現地の人はもちろんのこと、その人たちを取り巻くみんなに災害が与えるインパクトを、簡単な絵であらわしてくれていると思った。

同じページに、Phases of Disaster (災害の段階) というグラフがある。これは、災害発生から時とともに変わりゆく気持ちの変化を模式的に表してくれている。

normal response to an abnormal situation という言葉と同様に、このグラフに表現されているような「傾向」を知っておくことは、心のケアの専門家だけでなく、一般のわれわれにもひとつの「目安」を与えてくれるのでよいと思った。特に、こういう絵・図は目に訴えて、とてもわかりやすい。

2011年4月23日土曜日

ピッツバーグ大学でのチャリティーコンサート


一期一会 This moment, once in a lifetime...
というタイトルのチャリティーコンサートがピッツバーグ大学で開かれた。日本の小唄(三味線弾きながら歌)あり、ギターあり、冬ソナあり、バンジョーあり、アフリカの太鼓あり、茶道のお手前あり、と盛りだくさんであった。中でもわたしのお気に入りは、スーパーマリオブラザーズのテーマを演奏した2人。(写真)最後にみんなで『上を向いて歩こう』を歌った。 終わってから皆で横断幕に寄せ書きをした。(写真の右下に写っているのが横断幕。)

出演者のためにお昼ご飯をつくるボランティアの募集があり、ハウスメイトのナナコさんと卵サンドウィッチを作って差し入れた。ということで今回は、たんなるお客+もうちょっと貢献できた。

2011年4月22日金曜日

歌とダンスのチャリティー・イベント


被災地支援のために今夜 Point Park University で開かれた歌とダンスのイベントでは、ミュージカルからの歌の数々、そしてダンス専攻の学生による現代ダンス(というのかな?)、いずれも圧巻!だった。180人入る客席が9割がた埋まった。1200ドル以上の寄付金が集まったとのこと。アメリカ赤十字を通して日本に寄付すると。

今回このイベントを企画した先生は、かつて英語の先生として日本で教えていたこともあるとのこと。日本への思いを、このような形にしてしまう行動力に頭が下がる。出演した学生、会場に駆け付けた人々みんなありがとう。

2011年4月16日土曜日

中国人主催のチャリティーコンサート


ピッツバーグ郊外の高校で「ガンバレ Japan!(日本加油!)」というタイトルのコンサートが開かれた。これはピッツバーグ中華レストラン協会、中国舞踊教室、カンフー教室など、中国人のいくつかのグループの主催。子どもから大人まで、たくさんの人が、中国舞踊、カンフーの演武などを披露してくれた。またインド人によるインド舞踊、韓国人による韓国舞踊、そしてフィリピン人によるフィリピン舞踊もあり、どれもこれも、衣装からしてピカイチで見ごたえある演目だったた。日本のお琴や和太鼓もすばらしかった。

地震発生以来、自分自身が被災したわけではないのに、日本の家族の話を聞いたり、ニュースを見たり読んだりするだけで何かと気持ちが落ち込みがちな1ヶ月を送ってきた私にとっては、美しい演技に触れることがとてもよい気分転換になった。

1000人以上入るという広い会場を借り切って、このように大規模なイベントを企画ししてくださった方々、出演された方々に感謝。会場は満杯にこそならなかったけど、多くのアジア人、アメリカ人でにぎわった。ロビーでは、市内の大学に通う日本人学生が、栞の販売などで活躍。

私はこのようなイベントの企画・実演には力が及ばない。でも時間の許す限り単なるお客としてせっせとチャリティーイベントに参加したいと思っている。舞台に没頭することで、何より自分自身のセラピーになる。今月2日、ChathamUniversity でのチャリティーコンサートもそうだった。

在ピッツバーグの日本人は少数派のため、イベントに参加してもなかなか「数」にはなれない。でも企画・出演してくれている人々への心からの感謝をこめて、少人数でも駆けつけたい。ひとりでたくさん寄付できなくても、1人よりは2人、2人よりは3人集まれば、よりお金も集まるし、楽しめる。

2011年4月2日土曜日

被災地支援のためのコンサート

東北大地震被災者支援のためのコンサートがピッツバーグで次々と開かれている。今日はChatham University で30人以上のプロの演奏家たちが、入れ替わり立ちかわり、クラシックやジャズの音楽を3時間にわたって(休憩なし)で披露してくれた。舞台正面には日本の文化・美しい風景と今の被災地の写真がスライドショーで流れた。音楽に、画像に、涙。と同時に元気ももらう。

終了後、主催者が用意した飲み物と、主に日本人の有志が持ち寄った食べ物(私はおにぎり)を並べて、懇親会があった。食べ物には長い列ができた。着付けのデモンストレーションは見事であった。

Chathum University に通う8名の日本人学生をはじめ、この企画・運営にかかわった多くの人の努力に頭が下がる。被災地の人々にわれわれの思いが届きますように。そして集まったお金が有効に使われますようにと願う。

先日のピッツバーグ交響楽団の演奏会では、被災者へ思いを届けるべく、予定されていたプログラムを変更して、武満徹のレクイエムを演奏したと聴く。なお今後も、私が知っているだけで次のようなコンサートが企画されている。

4月8日(金)午後7時から
ピッツバーグ公立校(6-12年生)CAPA(Creative and Performing Arts)
111 Ninth Street, Pittsburgh, PA 15222
テーマは「結束」UNITY。同校で学ぶ日本人、日系人の生徒を中心に、日本の音楽、詩、ダンスなど1時間ほどのパフォーマンス。ベークセールも。
http://www.pps.k12.pa.us/capa/site/default.asp

4月16日(土) 午後7~9時半
中国系アメリカ人協会らの主催による 「ガンバレ日本 Benefit Concert」
North Allegheny High School
10375 Perry Highway, Wexford, PA 15090
http://www.castp.org/events-view.php?e=4
中国舞踊、和太鼓、お琴など。

4月23日(土) 午後2時
ピッツバーグ大学
Bellefield Hall Auditorium, 315 S. Bellefield Ave., Oakland
http://www.news.pitt.edu/news/pitt-present-april-23-benefit-concert-japan-earthquake-and-tsunami-relief

2011年3月21日月曜日

ピッツバーグ市長・市民の応援

在ピッツバーグの日本人向けメーリングリストに、ピッツバーグ市長が出した声明ほか以下のウェブサイトが紹介されていた。非常に力づけられる。

ピッツバーグ市長の声明(英語)
http://www.pittsburghpa.gov/mayor/article.htm?id=789

ピッツバーグ市議会が市民に寄付を呼びかけている声明(英語)
http://pittsburgh.legistar.com/LegislationDetail.aspx?ID=852858&GUID=3855CECD-742D-49FC-8C4A-870D4166BF33&Options=&Search=

時事通信社記事(日本語)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032300559

2011年3月20日日曜日

在ピッツバーグ日本人への影響

ここへきて、なんの身体的被害・生活上の被害のない在米日本人の間でも、「疲れ」がたまってきているように思う。被災地の方々の心身の苦労・不便・苦悩を思うと、月とすっぽんなのだけど。在米一般日本人は一見全く無傷だが、家族の被害の大小にかかわらず皆やはり心は傷ついていて、セルフケアやコ ミュニティーの中での互いのサポートが大事なときだと思う。

身近なところで、日本人向けに予定されていた健康に関するセミナーが中止になったり、イベントの中止が検討されたりしている。非 常時だからなんでも中止・自粛というというのではなく、こういうときだからこそむしろ日本人で集まったり、集まる機会を新たな募金集めの機 会とすればいいように思う。ピッツバーグ大学やカーネギーメロン大学などピッツバーグ市内でも募金活動が活発で、こ れはきっと活動に参加している者にとっても一種の癒しになっているんじゃないかと思う。

と、人ごとのように書いたが、この週末は自分の心の立て直しを頑張った。日本の被災地で活躍するNP仲間たちがいるなかで、私は自分の周囲の人に対するスポークスパーソンをやっているだけで十分疲弊してしまい、金曜日にはちょっとしたことがきっかけでそれまでためていた感情が「噴火」してしまうなど、なさけない状況だったので。日本の被災地に行く飛行機代のつもりで、と日本災害看護学会とアメリカ赤十字を通して募金したのは少し気の安めになった。しっかり働いて、引きつづき募金しようと思う。仲間のレポートを読んで身が引き締まる。

2011年3月16日水曜日

目標遠のく

来週末、西海岸でとまとまんに会えるはずだったが、地震・津波・発電所の混乱のさなかのため、やむなくこの計画は中止となった。もし強行したとしても、地震のことを思いながらでは気分的に楽しめなかったと思う。そうはいっても、やっぱり指折り数えて楽しみにしていたので、飛行機やホテルをキャンセルするのは辛い。ハーフマラソンのゴールがすぐそこだと思ってラストスパートをかけていたのに、急に「何言っとん?これはフルマラソンやで。」と言われた気分、と言ったらちょっと大げさか。

感謝すべきは、日米離れていても、お互い健康で仕事に励めていることだ。スカイプ(最近はGmailのチャットを使うことが多いが)で朝夕お互いのupdate 確認もできている。ありがたや。


2011年3月14日月曜日

大地震後の出勤

今日月曜日朝、他の診療所のスタッフも含めて全員(300人弱)に一斉メールを出した。電話やメールでの気遣いへの感謝、自分の家族は幸いにも安全であること、日本全体にむけて皆のサポートいることなどを書いた。

友達から私の家族の安否を尋ねる電話やメールが今日も続いている。かかりつけの歯科医も心配して電話してくれた。皆のサポートが嬉しく大変ありがたい反面、そのつど状況を説明し続けないといけないのは結構大変である。そうは言っても、気遣ってくれている彼らに自分の家族の状況を伝えたり、彼らが引き続き出来るかたちで日本をサポートしてくださるようにお願いするのは自分の役割だからやるっきゃない。

仕事中は忙しくて、地震・津波のことを一瞬忘れられたので、精神的には助かった。診察室から廊下にでたときや、トイレに向かったときはまた被災地のことが頭のなかをぐるぐるとまわる。

日本人NPの仲間たちが何人か被災地に向かう中で、自分の無力感を感じることが多い。そんな中Twitter で紹介されていた西宮市議会議員・今村岳司さんの文章を読んだ。阪神大震災の被災者である今村さんが、被災地の人向けに書いたメッセージ。特に印象に残ったところ3箇所を引用する。

被災していない人たちは、
それぞれのところで、一所懸命規律正しく働いて、税金を納めることこそ、
ほんとうに被災していないみんながやるべきことです。

(小芋コメント:私が収める税金はこっちの州・連邦政府に行ってるから、残る手取り収入の中から精一杯日本に寄付する。どこに寄付するかはもう少し考える。被災地で役立つプライマリケアやその他のスキルのない私が被災地に行くより、その飛行機代や食費にかかるであろう額をそっくり寄付したほうが多くの人の役に立つのは確実。行くほうがかえって迷惑。)

日本人としての誇りを失わずにそれぞれの場所で強く生きることこそが、大切なのです。

(小芋コメント:私は在ピッツバーグの人とともに、今ここで自分の役割を頑張る。)

「できること」を改めて考えました。
考えて出た結論は、
落ち着いたという雰囲気になってきたときに行動を起こすことでした。

(小芋コメント:私は長期戦で対策を考えていく。)

今村岳司さんの記事
http://xdl.jp/diary/?date=20110313#20110314

2011年3月13日日曜日

なさけない私

とにかく落ち着かない。NPメーリングリストで交わされる情報や テレビやインターネットで見る画像が四六時中頭の中を駆け巡り、夜も緊張してなかなか寝付かれなかった。被災地にいるわけでもなく、被災地に向かっているわけでもなく、海と大陸を隔てたピッツバーグにいるにもかかわらずーー。情けない。

今朝もとまとまんと話している間は幾分落ち着いたが、彼と話終えた後はまた頭のなかがグジャグジャになり、このままではいかん、と取りあえず外にでた。足が向かったのはアウトドア店。小型のemergency kit を買い、家に帰ってから非常用持ち出し袋を大まかに整えた。ここらでは地震はないんだけど、とにかく災害・テロすべてに対する恐怖感がましてしまっていて、こういう作業にいたった。

ピッツバーグの日本人向けメーリングリストで、日米協会が募金を始めたことなどが紹介された。各地の日本人会や日本協会でも同様の動き。アトランタの日本人の友達たちもいろいろ知恵を練っている。職場でも募金を呼びかけるつもりだが、呼びかけ方や義援金の送り先についてまだ思案中。

夜になって母と電話がやっと通じた。声が聞けてほっとした。東京にいる父と妹は電車がまだ途中までしか通っていないので家に帰れず、妹のアパートでの待機が続いている。

2011年3月12日土曜日

地震・災害対応マニュアル

被災地で看護・介護にあたる人むけの情報の宝庫 http://www.coe-cnas.jp/keaken/
慢性疾患を持っている人、妊婦さんむけの情報もある

多言語で書かれた地震対応マニュアルhttp://nip0.wordpress.com/
留学生たちが作ったものだとのこと。

NPの仲間の1人が明日ニューヨークから日本に向けて帰国し、被災者の支援にあたるという。その迅速な行動力と勇気に hats off だ。

2011年3月11日金曜日

東北・太平洋沿岸地震 

日本で大きな地震・津波の被害が続いている。NHKニュースをインターネットで見ているが、言葉もない。町ごと津波にさらわれたり、水に浸かってしまったりーーーーこれが一夜の悪夢であればよいのに。

今朝出勤前にとまとまん、父(出張中)、妹とは話ができたが、母とは連絡がつかなくて、日中仕事になかなか集中できなかった。夜(米東部時間の)になって おば→父(出張中)→私 と交わされたメールで無事が確認できたのでほっとした。家の外壁が壊れたり、家の中がめちゃくちゃになっているようだ。実家付近では電気・水道・ガスが全部止まっている模様。

テレビなどで地震のニュースを聞いた友達や家族が メールやFacebookや電話で安否を気遣ってくれてありがたい。仕事中も前のボスからメールがきたり、ボスのボスから電話が入ったり、みんなで心配してくれている。

読者の皆さんのご家族・お友達のみなさまが無事でありますように。災害にあった方々のため、今はただ祈ることしかできない私。